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慶応4年3月29日 蝦夷地開拓 行き詰まる

きょうは慶応4(1868)年3月29日です。越前大野藩が取り組んでいた蝦夷地開拓が行き詰まっていたことが分かりました。

13年前の安政2年(1855)、幕府とロシアの間に日露和親条約が結ばれ、択捉島とウルップ島の間が国境と定められました。
しかし、北蝦夷=樺太については日露双方の住民がいたため国境を設けず、日本とロシアの雑居地とされました。

和親条約は結ばれましたが、幕府はロシアの南下を警戒し、北方警備のため、諸藩に蝦夷地開拓への参加を呼びかけました。

北陸の越前大野藩は、前藩主の土井利忠が、幕府に北蝦夷=樺太の開拓を願い出て許可され、10年前の安政5年(1858)から開拓に着手。藩士や領民が移住し、開拓は樺太の南半分まで行われ、北蝦夷は大野藩の領地に準ずるとされました。
しかし、厳しい寒さで開拓の成果は上がらず、今の藩主・土井利恒は、事業の打ち切りを決め新政府に北蝦夷の返還を申し出たということです。