慶応4年2月23日 旧幕臣ら「彰義隊」結成
江戸では旧幕臣や浪士らが、新政府軍に対抗し、徳川慶喜の警護などを目的とする「彰義隊」を結成しました。
新政府軍は慶喜を「朝敵」とし、討伐軍を江戸に向けて進軍させつつあります。慶喜は寛永寺に閉居し、朝廷へ恭順の意を示していますが、これに不満を持つ旧幕臣らは新政府への対抗策を話し合う会合を重ねてきました。
その結果、きょう一橋家の家臣や旧幕臣、浪士らが参加し、「彰義隊」が結成されました。隊の名前は「大義を彰かにする」という意味で、「薩摩・長州の陰謀で成立した新政府に国政を担う大義は無い」という批判の意志が込められています。
頭取には、一橋家の家臣・渋沢成一郎が就任しました。彰義隊は当面、浅草の本願寺を拠点に、慶喜の警護を行います。