慶応4年2月15日 有栖川宮熾仁親王 京都出発
きょうは慶応4(1868)年2月15日です。慶喜討伐に向かう東征軍を率い、有栖川宮熾仁親王がきょう、京都を出発しました。
東征大総督の有栖川宮熾仁親王は、天皇の権限を代行する意味を持つ刀=節刀と、錦の御旗を天皇から授けられ江戸へ向け出発しました。
熾仁親王は、先代将軍・徳川家茂の妻、和宮と深い縁があります。
和宮は、孝明天皇の妹で、もともと熾仁親王と婚約していました。しかし、公武合体のための政略結婚で、2人は婚約を解消させられ、6年前の文久2年、和宮は徳川家に嫁ぎました。
2年前(慶応2)、家茂は病死しましたが、和宮は江戸城に留まり、慶喜の依頼で、朝廷に徳川家存続の嘆願書を書いています。
朝廷はその嘆願を聞き入れず、熾仁親王は、徳川家を討つ総司令官として東海道を下り、和宮のいる江戸に向かいます。