慶応4年元日 徳川慶喜「討薩の表」を発する
きょうは慶応4年(1868年)1月1日です。徳川慶喜がついに、薩摩を討つと宣言する「討薩の表」を発しました。
薩摩は、武力で徳川家を討つ大義名分を得るため、旧幕府側から戦闘をしかけさせようと挑発行動を続けていました。
一方の旧幕府は、勝海舟らが戦闘を避けようと努力してきましたが、先月25日、江戸で市中取締の任にあった庄内藩など旧幕府側が薩摩藩邸を焼き討ちする事件が発生しました。
その知らせを受けた徳川慶喜はきょう、「王政復古の大号令以来の薩摩の振舞いは、朝廷の真意とは考えられず薩摩の陰謀である」として薩摩を討つ「討薩の表」を発し、戦う決意を明らかにしました。
新政府内では、徳川慶勝・山内容堂など、幕府寄りの幹部もいて、やがて開かれる諸侯会議では、親幕府派の勢力が勝るとみられていました。
動かず待っていれば政治の主導権が戻ってくるはずの慶喜ですが、新政府軍およそ6000に対し旧幕府軍は2万を超え、数の上では圧倒的です。
慶喜自身も「この機会に新政府軍、とりわけ薩摩を叩くのがよい」と考えていてもおかしくありません。
いよいよ新政府軍と旧幕府軍が、戦火を交えんとしています。