明治元年9月17日 庄内藩 撤退
きょうは明治元(1868)年9月17日です。新政府軍が本拠を置く秋田久保田藩に攻め込んだ庄内藩が撤退を決めました。
奥羽鎮撫総督府がある久保田城近くまで迫った庄内軍でしたが、今月10日、4番大隊が新政府軍に初めて敗北。そんな中、2番大隊の隊長、酒井玄蕃は、先週末、ともに久保田藩内で戦う上山藩の使者から、「上山藩は新政府に降伏を決め、兵を引き揚げる」と告げられました。
玄蕃は、「私たちのことは気にせず、藩の無事を考えてください。今後、敵になっても怨みません」との言葉をかけたということです。
上山藩の使者の話から、米沢藩も降伏したことを知った玄蕃らは、列藩同盟の崩壊が近いと悟りました。
そうなれば庄内藩に大軍が押し寄せるのは必至。玄蕃ら各隊の指揮官は、「帰国命令がなくとも、すぐに帰って国境を枕にし、国と存亡を共にしよう」と撤退を決意。
きょうにかけて退路の刈和野を押さえる新政府軍と激しい戦闘になりました。玄蕃は風邪で体調がすぐれませんでしたが、輿にのって軍を指揮。弾薬が尽きかける中、斬り込み隊を組織して刈和野を奪還。
新政府軍を退け、庄内藩にたどり着いたということです。