慶応4年9月5日 米沢藩 新政府軍に降伏
きょうは慶応4(1868)年9月5日です。東北の米沢藩が、新政府軍に降伏の意を示し、奥羽越列藩同盟から離脱しました。
米沢藩は、仙台藩とともに奥羽越列藩同盟の盟主を務めています。しかし、藩主・上杉斉憲の正室は土佐・山内家の出身で、土佐藩は以前から降伏を勧めていました。
新政府軍参謀で土佐の板垣退助らは、先月から米沢藩に使者を派遣するなどし、藩主の命は奪わない、領地の保全も検討するなど6つの条件を提示。これをうけ、きょう米沢藩は土佐藩を通じ、新政府に降伏の意思を伝え、奥羽越列藩同盟を離脱しました。
ところで、もう一つの盟主、仙台藩にはきのうまでに旧幕府艦隊をひきいる榎本武揚が入り、藩主の伊達慶邦と会っています。
榎本には旧幕府のフランス軍事顧問団だったブリュネらも同行していて、「奥羽越列藩同盟の将兵5万に西洋式の訓練を受けさせ、戦略を立てて戦えば新政府軍に勝てる」と慶邦に説きましたが、色よい返事はなかったということです。5月に30藩余りで結成された同盟ですが、離脱や敗戦で今や半分近くにまで減っています。