慶応4年7月25日 列藩同盟軍 長岡城奪還
きょうは慶応4(1868)年7月25日です。奥羽越列藩同盟軍は、長岡城を占拠していた新政府軍を退け、城の奪還に成功しました。
北越では昨夜、長岡藩家老の河井継之助を中心とする奥羽越列藩同盟軍が長岡城の新政府軍に夜襲をかけました。
河井は、列藩同盟側の会津・米沢の藩兵1千を城の正面に置いて攻めるように見せかけ、河井自らが長岡藩兵690人を率い、城の背後の沼地「八丁沖」を渡り、長岡城に攻め込む奇襲戦法でした。八丁沖は、およそ4キロ四方に広がる深い沼地で、一部は底なしとも、大蛇がすむとも言われています。
河井率いる長岡藩兵は午後10時ごろからおよそ6時間かけて八丁沖を渡りきり、きょう午前4時ごろ、長岡城の新政府軍陣営に対して、一斉に砲撃を加えました。
新政府軍は、八丁沖から同盟軍が攻めてくるとは思っておらず、北陸道軍の参謀・山縣有朋は寝巻きのまま城兵を指揮し、長岡城を脱出したということです。
新政府側では多数の被害が出て、薩摩藩兵だけでも130人あまりの死傷者がでました。