慶応4年7月23日 木戸孝允 「版籍奉還」を建言
きょうは慶応4(1868)年7月23日です。新政府参与で長州の木戸孝允が、「版籍奉還」を藩主に建言しました。
「版籍奉還」は、諸藩が治めている土地と人を朝廷に返すものです。
政権は握ったものの、朝廷には直轄領がほとんどなく、統一国家と呼べる状態ではありません。
このため木戸は以前から藩主の毛利敬親や、新政府首脳の岩倉具視らに版籍奉還の政策を建言していました。
しかし、領地と人を手放すことは、諸藩の強い反発も予想され岩倉は木戸の意見を伏せ、棚上げにしています。
そこで木戸は、まず長州藩が版籍奉還を行うことで諸藩に理解を求めようと、京都で藩主・敬親に会い、その必要性をあらためて説明しました。敬親は理解を示したものの、藩内の動揺を心配して、慎重に時期を見計らうようにと注意しました。
版籍奉還論は、薩摩藩でも寺島宗則らが唱えていましたが、“国父”島津久光の同意は得られていません。
新政府が新しい統治機構づくりを急ぐ一方、藩への帰属意識が強い藩主や藩士は多く、版籍奉還が実現するめどは立っていません。