交通網の変化

九州新幹線の全線開業など交通網の整備が鹿児島にもたらした変化について城光寺記者の報告です。
「多くの鹿児島県民の夢と期待を乗せて、鹿児島中央駅一番列車さくら400号。博多に向かって出発しました。」

(乗客)
「あっという間に新大阪から鹿児島まで来れた。」
「昔は一晩かかった、18時間。本当に速い。もう日帰りができる。」

平成23年に全線開業した九州新幹線。計画は昭和48年に決定しましたが・・

(音・宮沢喜一蔵相)「採算がとれない。」

政府は財政難から、昭和57年に計画を凍結。
(二階堂進衆議院議員)
「政治がうそを言っちゃダメ。党が約束したことは。」

(山中貞則衆議院議員)
「腕力でもって政治は決定しなければいけない時もある。」

凍結は解除されたものの、着工に優先順位がつけられ、九州新幹線は4位でした。

(音・鎌田要人知事)「こういった成果しかあげられなかったことについては申し訳ない」

しかし、当時、衆議院議員の小里貞利さんは秘策を練っていました。
「難工事区間の調査」という名目で予算を獲得し、トンネルを掘り始めたのです。

(音・小里貞利さん)
「鹿児島の紫尾山、難工事の場所を成功せしめたのは、本当に全ての機関、団体、県民があとを押してくれたお陰だと思います」

トンネルの掘削という既成事実を作ったことで九州新幹線は他の路線に遅れを取ることなく平成3年に着工。
平成16年に鹿児島中央と新八代の間が部分開業。平成23年に全線開業しました。

(インタ・赤崎義則元鹿児島市長)
「小里さんはまさにミスター新幹線と言われただけあって、いかにして
鹿児島まで持ってくるか、鹿児島まで延ばさせるかということを、本当、に骨身を削って努力をされた。」

在来線の時代と全線開業後を比べると、新大阪は、6時間17分が3時間41分に、博多は、3時間40分が1時間16分に短縮されました。

時短効果もあって、鹿児島中央~熊本間の昨年度の一日当たりの輸送人員は、全線開業前の1・65倍に増えました。
新幹線利用者の居住地別の割合では、県内が58%から40%に減ったのに対し、県外は42%から60%に増えています。

 

県外からの利用客が増えたことについて県観光プロデューサーの古木圭介さんは・・・

(インタ・県観光連盟古木圭介観光プロデューサー)
「大阪から4時間が、飛行機にするか鉄道にするかのちょうど境目になる。すると、飛行場まで行って、つぶす時間があるのだったら、新幹線で来ようという人がかなり多くなったことは確か。今まで関西の観光客は九州は少なかったが、それが、関西だけでなくて、中国地方まで拾って、九州に運んでくれるようになったというのは、大きなメリット。」

 

九州新幹線の開業は、空の便の利用にも影響を与えました。


鹿児島空港の乗降客数は、平成14年の626万人をピークに下降線をたどり、全線開業と東日本大震災が重なった平成23年には446万人まで落ち込みました。
その後、格安航空会社=LCCの参入が相次ぎ、去年は561万人まで回復しました。

 

(インタ・鹿児島空港ビルディング渡邉勝三社長)
「近場のところは新幹線で、これはもうあきらめざるを得ないが、長距離である東京線は順調に需要が伸びてきて、参入している航空会社も増えている。」

 

国際線では、平成2年に大韓航空のソウル線が、平成14年には中国東方航空の上海線が就航しました。

(インタ・出発する人)
「上海の花売り娘はいるのではないかと思って。」

平成24年にはチャイナエアラインの台北線が就航。香港線は平成26年の香港航空に続き、平成28年には
LCCの香港エクスプレスも就航。国際線は現在4路線が運航し、
去年の乗降客数は28万6000人で、4年連続で過去最高を更新しています。

(インタ・鹿児島空港ビルディング渡邉勝三社長)
「国際線ビルの増床に向けて取り組んでいるところで、2020年までには、乗降客60万人受け入れ可能な施設に変えたい。」

また、海の便では平成元年、県内初の高速船が種子・屋久航路に就航し、鹿児島~種子島間が4時間から1時間半に短縮されました。

(インタ・いわさきコーポレーション岩崎芳太郎社長)
「種子島に90分で行ける。しかも船酔いもしないということで行きやすくなった。観光地として備えないといけない交通利便が最低限そろったことで、今の種子屋久があるのではないかと思う。」

 

このほか、高速道路では、昭和63年、九州自動車道が国道3号バイパスや指宿有料道路と連結。
平成7年には、人吉~えびの間を最後に九州自動車道が全面開通し、青森まで2150キロが高速道路で結ばれました。
南九州西回り自動車道と東九州自動車道では全面開通を目指して現在も整備が行われています。

長年の誘致が実を結んだ新幹線の全線開業や国際線の就航で、国内外がより身近になった平成という時代とは・・・

(インタ・いわさきコーポレーション岩崎芳太郎社長)
「鹿児島は先見性があって、どの地域よりも先に、常に先手を打ってきたので、ここから先が努力のポイントになるが、打って出るようなポテンシャルを留保できたのが平成の時代ではないか。」

 

移動時間の短縮など県民生活を大きく変えた平成の交通網。


今後は、まだ完成していない高速道路の早期整備などを目指して、さらなる観光客の増加や流通の発展につなげることが期待されます。