吹上浜拉致 家族の思い

昭和50年代、北朝鮮に拉致された日本人17人のうち5人は、平成14年に行われた当時の小泉総理と金正日総書記による日朝首脳会談の結果、帰国が実現しました。
一方、日置市の吹上浜で拉致された市川修一さんと増元るみ子さんはいまだ帰国できず、あさって8月12日で拉致から丸40年となります。平成が終わろうとする中でも解決しない拉致問題。
この40年、そして家族の思いを岩崎キャスターが取材しました。

(岩崎アナウンサー)「市川修一さんと増元るみ子さんが拉致されたのは1978年、昭和53年です。2人の平穏な日常はここ吹上浜で奪われました。我々が歩んできた平成という時代を2人は知りません。」

Q.平成はフミ子さんにとってどんな時代
(るみ子さんの姉・平野フミ子さん)「無ですね。何もなかったに等しいですよね。るみ子が帰って来てないから無。」


(増元るみ子さん肉声)「私は花嫁さんとは名ばかりの1年先輩でございます。今はもう勤めておりませんけれども、大変嬉しく思っておりますので、おめでとうございます。」


41年前の昭和52年、るみ子さんは同僚の結婚式でお祝いのスピーチをしました。しかし、この日から1年余りが経った昭和53年8月12日。るみ子さんは交際していた市川修一さんと夕日を見るために日置市の吹上浜を訪れ、姿を消します。

この頃、全国で同様の失踪が相次ぎ、その後、北朝鮮による拉致の疑いが指摘されました。
そして、北朝鮮の元工作員からは修一さんに関する証言が。

Q.安さんが会ったという日本人はこの人で間違いないでしょうか
(安明進氏)「確実にこの人です。私が会った時、彼の髪型は全くこの写真の通りでした。」


平成9年、同じ境遇にある全国の家族が家族会を立ち上げました。署名活動などに懸命に取り組み、国に解決を訴え続けました。

(るみ子さんの父・正一さん)「おはよう、るみ子。きょうも元気でね。早く帰って来てください。我々は平々凡々として暮らしているけど、娘たちはどんな生活をしているのか。」

(修一さんの父・平さん)「親も子を思う心は一緒ですから。全員が無事帰って頂くように。」

修一さんとるみ子さんの拉致から24年が経った平成14年。事態が急展開します。
当時の小泉総理が北朝鮮を訪れて行われた初の日朝首脳会談。金正日総書記は日本人13人の拉致を認めました。しかし…。
(テレビ)「市川修一さん、増元るみ子さん。2人も死亡が確認されています。」
(修一さんの母・トミさん)「待ち続けていたんですもの。元気で帰って来るのを。」

修一さんやるみ子さんら8人について、北朝鮮は「死亡した」と説明。しかし、客観的な証拠は何ら示されませんでした。

(修一さんの兄・健一さん)「私は両親が高齢なんです。心配なんです。どのように伝えていいか分かりません。」
(るみ子さんの姉・平野フミ子さん)「鹿児島でテレビ見てる父ちゃん、母ちゃん。信じることできないからね。気を確かに持って。」


日朝首脳会談の翌月、帰国を果たした5人の拉致被害者。蓮池薫さんの妻・祐木子さんは北朝鮮でおよそ1年間るみ子さんと生活していました。

(拉致被害者・蓮池薫さん)「毎日泣いていたと。泣いて涙も出ないと。だから、これからは何とか生きていこうと2人で話し合ったそうです。朝鮮語の勉強を一緒にしたり、さみしい時は2人で日本の歌を歌ったり。るみ子さん、非常に歌がうまかったと言ってました。卓球もうまかったと。」

5人の帰国から今年で16年。この間、新たに帰国できた拉致被害者は誰もいません。
そして、愛するわが子との再会を果たせないまま亡くなった家族がいます。
(るみ子さんの父・正一さん)「るみ子、父ちゃんはこんな状態でこっちから迎えに行けないからどこかで待っとってくれ。」
るみ子さんの父・正一さんは、5人の拉致被害者が帰国した2日後、帰らぬ人に。
そして、市川修一さんの母・トミさんは平成20年に、父・平さんは平成26年に亡くなり、増元るみ子さんの母・信子さんも去年亡くなりました。

(るみ子さんの姉・平野フミ子さん)「一筋涙を流していたのを見て拭こうとしたら、こうした(顔を振った)。るみ子のことを思いながら逝ったんだろう。」


2人が拉致されてから40年となる今年、1つの希望が。
6月、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による史上初の米朝首脳会談で拉致問題が取り上げられました。

(修一さんの兄・健一さん)「千載一遇のチャンスだと捉えました。絶対に日朝首脳会談の方へつながっていくと思うんですよ。」

次は、日朝首脳会談で拉致問題の解決を。そう強く願う家族は声をあげ続けます。

(チラシ配り)「今年で40年の歳月が流れてしまった。何か良い情報がありましたら、警察の方へ一報ください。忘れないで、宜しくお願い致します。」


(修一さんの兄・健一さん)
「両親に弟を何としても一刻も早く会わせてやりたい、その一念で戦ってきましたけれども、その願いを叶えることはできなかった。悔しい思い、それでずっとこの平成はきました。」

(るみ子さんの姉・平野フミ子さん)
「るみ子が帰って来たら平成は良い年だったなっていうふうに考えられるかもしれないし。私たち家族にとっても拉致被害者家族にとっても良い年だったなっていう平成時代を締めくくれたら良いなと思います。」

昭和に発生した吹上浜拉致事件から40年。
救出に向けて戦い続けてきた被害者の家族は、平成が終わろうとする中、一刻も早い解決を今も訴え続けています。

市川修一さんや増元るみ子さんら、政府が認定した拉致被害者は17人いますが、拉致の疑いを排除できない特定失踪者は全国に700人余りいるとも言われています。