人口増に転じる十島村

15.1%。これは5年に1回行われる国勢調査で最新の十島村の人口増加率です。
県内の市町村の中で最も高い値でした。
日本が人口減少社会となった平成の時代、離島の十島村でどんな取り組みが行われたのでしょうか。


出港を2時間後に控えたフェリーとしま2。

食材や郵便物、ガソリンなど、生活物資が積み込まれていきます。

南北600キロの鹿児島県のほぼ中央部に位置する十島村。
7つの有人島と5つの無人島からなり、南北は160キロにおよびます。

村営船のフェリーとしま2は住民の生活航路として利用され、鹿児島港と十島村の有人島、そして奄美大島の間を週2往復します。

鹿児島港を出港して13時間。有人島最南端の宝島です。
荷降ろしは島の青年団が行い、住民は自分宛の荷物を自分で探し家に持ち帰ります。

インターネットの光回線が通っている宝島では、通信販売で買い物をする住民も少なくありません。
荷物を探す人の中で目立っていたのが子どもたちです。

宝島の人口は131人。そのうち15歳未満の子どもは31人で全体のおよそ2割です。
十島村の子どもの割合は他の6つの島もほぼ同じ。
県内全体の推計1割あまりと比べ、十島村で子どもが多いのはなぜなのか?


(肥後正司村長)「平成の30年で有人島を無人島にしない。島民と一緒に人口問題を考えてきた。」

肥後正司村長は平成24年の就任し、人口問題を最重要課題に位置づけました。
十島村では、昭和25年におよそ3000人だった人口が減少の一途をたどり、昭和45年には臥蛇島が無人島に。
その後も減り続け、平成22年には過去最低の657人となりました。

(肥後正司村長)「国内が人口減少に向かう中で、十島村は他の地域よりも条件不利。全く手をつけない状態が続くと必ず人は去ってしまう。」

村は、県外の移住PRイベントや移住者が島で農林水産業に従事した場合、最大で1日1万円の奨励金を5年間支給するなどの政策を推進。
その結果、平成22年に657人だった人口は、5年後の平成27年にはおよそ100人、15.1%セント増え、756人となりました。

(岩崎)「移住政策を進めている十島村では、小さな子ども数が増えているということで、保育園的な機能を果たす施設が宝島に初めてつくられた。」


村が平成27年から始めた子ども保育。1歳から小学校入学前の子どもたちが通います。宝島以外にも順次開設されていて、今年度、平島に完成すれば、すべての島で保育サービスが受けられるようになります。

(福岡からの移住者)「子ども同士の関わりや先生から直接子どもに教えてもらうことが親から教えることと違うので、子どもたちも勉強になっているみたいで助けられている。」

進められる移住政策。
平成22年度から7年間の移住者は239人。一方、生活基盤を作れないなどとして村を出た人は49人いました。
定住が今後の課題です。


竹内功さん(45)と妻の寿恵さん(39)です。平成22年に東京から移住。3人の子どもにも恵まれました。

(竹内寿恵さん)「一生を終える中で自分たちの居場所がここではないのかなと薄々感じていた。その時に移住者募集があり応募して今に至る。」

移住後、島らっきょうの栽培やトビウオ漁などで生活基盤を築いた竹内さん夫婦。

現在は、移住者同士で立ち上げた一般社団法人で、特産のバナナの幹を使った帽子や帯の製造・販売などにも取り組んでいます。

(竹内功さん)「利益追求というよりは産業をつくりたい。ここには産業があまりなくて、農業一本でやっていく場合、厳しい。」

新たな産業の構築により期待される移住者の定住。竹内さん夫婦にはもう1つ思いがありました。

(竹内寿恵さん)「お父さんとお母さんがやることを見て、子どもたちがついて行きたいと思えるような時代は作っていきたい。作っていかないという使命感がある。」
(竹内功さん)「ここは高校から外に出て学校に行くので(将来)毎年のように誰かが帰って来くれば、(島の)担い手にもなる。」

島の将来のために挑戦する移住者。長年島に暮らす人からは期待の声も。
「移住者のおかげで活性化している。IターンもUターンも関係ない、ここでは。みんな一緒に生活しないといけない。」

今年4月時点で十島村の人口は688人。
2060年に750人まで増やすことを目標に、行政、既存の島民、そして移住者の取り組みは続きます。