高校野球“名将”対談 鹿実・久保監督×樟南・枦山監督 伝説のプレー秘話を語る

「鹿児島実業・久保監督」、「樟南・枦山監督」といえば、鹿児島の高校野球を育てたお二人です。鹿児島代表として甲子園でチームの指揮を執り、また、互いにライバル校として県大会では熱戦を繰り広げてきました。
そのお二人がMBCの番組収録で対談。伝説となったプレーの秘話や高校野球への思いを語りました。

「新米の久保です。ははは。」

MBCラジオのスタジオで行われた対談は、笑いとともに始まりました。

(野口たくお)「こうやってお二人で並ばれるというのは、よくあることなんですか?」

(久保さん)「めったにないですけど、鴨池球場でOBとなって、試合を観戦するときは一緒になりますよ。ユニフォームじゃないですよ、ユニフォームじゃ」

(枦山さん)「ユニフォームだと、けんかですから(笑)」

久保克之さん、86歳。鹿児島実業高校野球部の監督として19回、甲子園出場。1996年のセンバツでは全国制覇を果たしました。

枦山智博さん、79歳。鹿児島商工、樟南高校の監督として23回の甲子園出場。94年夏の大会では準優勝しました。

(久保さん)「目標は、打倒・鹿商、打倒・鹿商ですよ。朝な夕な厳しくやりました。鹿商に並ぶために」

(枦山さん)「鹿商、鹿実、玉龍、それが頭の上にありましたから、これを超えるにはどうしたらいいかなと。考え着いたのは点数をやらない野球」

(久保さん)「私はどちらかというと文部省推薦型の野球。こっちは野獣型の野球、野性味のある野球」

甲子園で全国の強豪校と戦ってきた二人。監督しか知らないエピソードも。

74年、定岡正二投手を擁した鹿実は東海大相模と対戦。延長15回の死闘を制し、鹿児島は盛り上がりました。

(久保さん)「帰ってきたとき、予想もしない、中央駅に1万人ぐらいの出迎えの人がおられた。バスまで歩くのに手を引っ張られ、袖を引っ張られ、大変でした」

(久保さん)「やっぱり、人を磨く。人間を磨く。甲子園の目標と人間育成がイコールでやりました」

(枦山さん)「逆に、選手たちから我々は指導を習ったというか、そういう点もあるんですよね」

対談番組「名将と振り返る鹿児島の高校野球」は、MBCラジオで今月31日(日曜日)午後1時から放送します。