H3打ち上げへ「草むしりで無心に」メガネ変えゲン担ぎも 数百人の開発チーム束ねるプロマネの1年

初号機の打ち上げ失敗から1年。H3の開発には関係企業を含めると数百人がかかわっています。ロケットの開発から打ち上げまでを取りまとめるプロジェクトマネージャの人柄に迫りました。

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「1人1人が力を出し切ってそれを積み上げて打ち上げに臨む」

H3ロケット開発から打ち上げまでの全体をとりまとめる、プロジェクトマネージャの岡田匡史さん(61)です。

1989年に現在のJAXAに入り、エンジンの燃焼試験など技術分野に携わってきました。ロケットにかかわる仕事を志したのは中学生のころ。アポロ計画の打ち上げをテレビで見た時でした。

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「いくら勉強しても成績が上がらない時期。ロケットの世界に入るには勉強をしないといけない。そこから頑張って勉強した、ロケットに救われた感じ」

岡田さんがプロジェクトマネージャを務めるH3ロケットは、現在のH2Aの後継機で、およそ10年にわたって開発が進められてきました。

世界で競争が激しさを増す衛星の打ち上げ受注ビジネスで勝ち抜くため、低コスト・高性能を追求しました。

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「君がプロジェクトマネージャをやれと言われて、全く(任されると)思っていなかったので、え?という感じで今に至る」

しかし、H3は新型メインエンジンや電気系統のトラブルで、打ち上げは当初の予定より2年遅れに。去年3月、やっとの思いで迎えた打ち上げでしたが・・・

(場内アナウンス)「ロケットはミッションを達成する見込みがないという判断から、指令破壊信号を送信しました」

2段エンジンに着火しなかったとして指令破壊信号を発令。打ち上げが失敗して以降、手探りの日々が続きました。

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「これが答えだという正解にたどり着けないような気がして、それがものすごくつらかった」

一度、失敗すると次の打ち上げまで数年かかるといわれるロケット。失敗原因を3つまで絞り込み、1年で再チャレンジまでこぎつけました。

関係企業を含めると数百人がかかわるロケット開発。チームのモチベーションを維持するうえで大切にしてきたことがあります。

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「良い耳を持つことが大事だと思う。一番大事なところを逃さず理解することと、自分でも勉強して自分の考えを持つことが大事」「自分たちが立ち止まってしまったら、日本の宇宙産業の未来はない」

つらい時期の支えとなったのは、家族の存在でした。

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「あっけらかんと接してくれたのが救いだった」「草むしり。草むしりが自分にとっては重要、無心になれる」

1年のうち4か月ほど過ごすこともある種子島宇宙センターで、お気に入りの場所を案内してもらいましたが・・・

(車道に積もっていた砂に車がはまる)

どんなトラブルにも冷静に対応する岡田さん。

宇宙センターの食堂はホッとできる場所です、昼食を食べる場所も決まっています。

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「(食べられないと)ものすごく残念、けっこう食い意地が張っているので」

いつもは験かつぎはしないといいますが・・・

(JAXA 岡田匡史・H3プロジェクトマネージャ)「メガネ変えた、1号機のメガネはやめた。バックアップはこの色違いを本番はかけようと思っている。まくいったときにかけていたメガネ」「失敗は2度としてはいけないという思いが強くて。淡々とそれぞれのメンバーが力を出し切れるような雰囲気の中で打ち上げに臨みたい」