奄美復帰70年 1枚の写真をきっかけに40年ごしの再開 奄美と東京の少年たちの時を超えた友情が絵本に

戦後、アメリカ軍統治下に置かれた奄美群島が、日本に復帰してから今月25日で70年の節目を迎えます。それを前に、今月、1冊の絵本が出版されました。テーマは、復帰直前に行われた奄美と東京の子どもたちの交流。当時、交流に参加した男性が絵本に込めた思いとは。

神奈川県に住む島岡稔さんは、奄美市名瀬出身の82歳。復帰当時は小学6年生でした。

奄美群島は戦後、およそ8年間にわたってアメリカ軍政下に置かれ、人や物の移動も制限されるなど、苦難の時代を過ごしました。そして、住民一丸となった復帰運動が展開され、1953年=昭和28年12月25日に日本に復帰したのです。

復帰のおよそ4か月前、アメリカ側が復帰を認める声明を出したことを祝って、東京の小学生2人が奄美大島を訪れ、地元小学生と交流していました。

そのことは長く忘れられていましたが、島岡さんが手元に残していた写真をきっかけに、今から30年前に新聞の特集企画で当時の東京の少年を探すことになり、再会を果たしたのです。

(島岡さん)「この石段で記念撮影したんですよね。この写真が奇跡を呼んだ」

40年越しの再会をきっかけに、名瀬小学校と練馬区立中村小学校では、学校同士の交流が行われるようになりました。今年7月には、中村小学校の子どもたちが名瀬小学校を訪れました。

「中村小学校です。奄美群島日本復帰70周年おめでとうございます」

両校の児童たちは、復帰運動の舞台だった名瀬小学校の石段で、復帰運動の指導者・泉芳朗の詩「断食祈願」を朗読しました。

『祖国帰心 五臓六腑の矢を放とう』

この経緯を描いた絵本が今月、出版されました。タイトルは「はるかな友」へ。今から30年前、父親となった東京の少年が思い出を振り返るかたちで物語は進み、復帰当時の奄美の様子や現代も続く両校の交流までが優しいタッチの絵とともに描かれています。

その絵本を名瀬小学校と中村小学校にそれぞれ50冊ずつ贈ることになり、島岡さんは今月4日、母校の名瀬小学校を訪れました。

(島岡さん)「70周年ですから。絵本にしたら、子どもも親も一緒に見られるんじゃないかということで」

(名瀬小学校6年・北原徳真さん)「日本復帰について詳しく書かれていて、すごく感動しました。中村小の人とも仲良く楽しく活動できて、すごく良い思い出になりました。これから先も長く(交流が)続いて欲しいなと思います」

絵本の贈呈式には、70年前に使節団の一人として奄美を訪れ、今年3月に亡くなった高橋孝泰さんの息子・史明さんも同行しました。

(高橋史明さん)「亡くなってから遺品の整理をしたが、奄美関係のものが一番多かった。奄美も父の中でルーツになっているのかという気がしました」

(島岡さん)「何らかの形で記憶より記録にしたものがいいということで。出来上がった絵本を友人が見て、すごく復帰のことが分かりやすく書いてるなと褒めてもらって、うれしかったです」

奄美の日本復帰をきっかけに、40年の時を経て再開された奄美と東京の子どもたちの交流。絵本という一つの形になったことで、奄美の日本復帰にかけた先人たちの思いをより広く、後世に伝えていくことにつながればと、島岡さんは願っています。

(「はるかな友へ」より)
『二つの小学校の子どもたちは70年前と同じ石段の上に立ち、泉芳朗さんの「断食祈願」の詩を朗読しました。先人たちの熱い思いが足元から伝わり、子どもたちの声に乗って風となり、木々を揺らすのでした』