42歳で東京から1人移住 藤原綾さん「地方の当たり前は都会の贅沢」鹿児島県霧島市(2023年5月24日放送)

今年2月に出版された本「42歳からのシングル移住」、執筆したのは、2年前に東京から霧島市に1人で移住した女性。なぜ暮らしの場を地方に移したのか。そして、移住後の暮らしで何を感じているのか伺いました。


「こんにちは。綾ちゃんいますか」
「こんにちは。初もの。やったー」

霧島市霧島永水に暮らす藤原綾さん(44)です。この日は近くに住む西喜代子さん(73)が一緒にお昼ご飯を食べようと、煮しめやがね、おこわを作って訪ねて来ました。

(藤原綾さん)「東京だと外食ばかりで、それでも定食屋には行くようにはしていたが、これだけ新鮮な野菜で作ってもらって。お母さんっていう感じ」

藤原さんは2021年9月に移住。近くに住む西さんとはすぐに仲良くなり、困りごとを何でも相談できる間柄になりました。
一方、子どもがすでに独立し、2年前に夫を亡くした西さんにとっても、藤原さんとの出会いは支えになったといいます。

(西喜代子さん)「突然現れた娘という感じ。いつも明るく振舞ってくれて、私の生きがい、生きる力になっている」

(藤原綾さん)「本当にいまは、思っていた以上の生活になっている」

霧島で家族のような存在ができた藤原さんですが、2年前までは東京で将来孤立することに不安を抱えていました。

藤原さんは東京生まれの東京育ち。大手生命保険会社や出版社で働いた後、29歳でフリーランスになり、ファッション誌の編集などを手掛けてきました。仕事もプライベートも充実した毎日を送っていましたが、父親の突然の死が転機となりました。

(藤原綾さん)「このまま東京で過ごしていたら、(亡くなったとき)誰が私を見つけることができるか考え始めて」

高校生のときに母を亡くし、離婚も経験した藤原さん。東京のマンション暮らしでは隣人とは挨拶を交わすだけで、安心できるコミュニティがなかったと振り返ります。

(藤原綾さん)「現状は(友人がいて)孤独を感じていないけれど、どんどん年を取っていったときに、孤立していく不安があった」

(藤原綾さん)「1人暮らしなので、全部壁を取っ払って一部屋に広々と改装した」

藤原さんは、霧島市で売りに出されていた築20年以上の平屋の住宅を購入。畑も作れる広い敷地があり、購入費用は改装費を含めても東京のマンションの半額以下。親戚がいて大好きな温泉がある鹿児島で、良い物件に巡り合えたことが移住につながりました。

月に1回ほどは東京に行くものの、リモートを駆使して霧島を拠点にライター業務を続けています。地方に生活の拠点を移したことで、毎日の暮らしに変化も。

(藤原綾さん)「東京で忙しい生活をしていたとき、食べることや寝ることなど人間の営みをおろそかにしていた。ここではそこを大切にしている。
空気や水がおいしいのは、ここでは当たり前かもしれないが、東京の人間からは贅沢。ここで暮らしてみて、生活が豊かになったなという実感がある」

藤原さんは、地区にある農産物直売所でレジに入ることもあります。地域の交流の拠点にもなっていて、地区で初めて声をかけられたのも店員の中村さんからでした。

(中村和江さん)「霧島を選んできてくれて嬉しかった。最近(移住者が)すごく増えている印象がある」

地方への移住者は近年、全国的に増加傾向にあり、県によりますと、鹿児島に移住した人は、2021年度は2077人で過去最多を記録しました。しかし、それ以上に高齢化の勢いが強く、藤原さんは今後のコミュニティ維持に危機感を抱いています。

(藤原綾さん)「豊かっていう言葉知っていますか」

4月下旬、小学校に招かれた藤原さん。子どもたちに地元の魅力を再発見してもらおうと講演しました。

(藤原綾さん)「食材が抱負にある場所は豊かだと言える。本当に誇りに思っていいこと」

(霧島小学校6年)「今まで当たり前に生活してきたことが、都会では恵まれていることだと知った」

本当の「豊さ」を求めて霧島に移住してからおよそ1年半。藤原さんは自分が暮らす地域のこれからについても考え始めています。

(藤原綾さん)「20年後、30年後、今と同じようには(暮らしが)進まないと身に染みている。そこは霧島の人たちと考えていきたい」

(藤原綾さん)「元気の源です。毎日温泉に入れることは豊かさを実感するきっかけになっている」