慶応4年3月5日 東征軍本隊 駿府入り
きょうは慶応4(1868)年3月5日です。東征軍の本隊が、駿府に入りました。一方、旧幕府側では、江戸に迫る新政府軍との和平の道を探っています。
大総督・有栖川宮熾仁親王が率いる東征軍の本隊は、東海道の宿場、鞠子宿で西郷隆盛の出迎えを受けたあと、駿府城に入りました。
一方、江戸では陸軍総裁・勝海舟と旧幕臣の山岡鉄舟が会談しました。
和平派の勝は、徳川慶喜の命を守ることと、江戸での戦闘回避を考えています。山岡は、和平を探る勝に対し、「駿府へ行って、西郷隆盛と会談したい」と申し出ました。
徳川慶喜は寛永寺に閉居して恭順の姿勢を示し、朝廷に赦免を求める書状を送っていますが、願いは聞き入れられず、手詰まりとなっています。旧幕府側と西郷との直接会談が実現すれば、状況が変わる可能性があります。勝は、山岡について、「その人となりに感じ入った」と日記に記しています。