50年にわたり鉱物研究 志賀美英さん「鉱物資源を守り広めることが使命」【MBC賞】
地域の発展に貢献し、今後の活躍が期待される団体と個人に贈られるMBC賞。今回は、50年にわたって鉱物の研究を続けている志賀美英さんを紹介します。
(志賀美英さん)「錫山鉱山の錫鉱石。これは一押し」
立派な髭がトレードマークの志賀美英さん(75)。およそ50年にわたって、鉄や鉛、金や銀などの鉱物を研究してきた鹿児島大学の名誉教授です。
東京で過ごした大学時代、秩父鉱山を訪ねたことをきっかけに鉱物の世界にのめりこんでいった志賀さん。
(志賀美英さん)「鉱物の結晶系、形をみたり色を見たりすると、世の中のことを忘れてしまう。その中に入っていくような、こころもちがする」
鉱物一筋で研究してきた志賀さんは、大学を定年退職した2013年に鹿児島市にある自宅の一部を改装。誰でも無料で見学できる鉱石の展示室をひらきました。
(志賀美英さん)「金属はいっぱいあるけど、その基となる原料を知っている人はほとんどいない。それが現実」「なんとか鉱物資源の関心を高めて、理解を深めてほしいと、この展示室をつくった」
自宅の展示室には、志賀さんが国内外で採掘した鉱石がおよそ150個並んでいます。近所の子どもから、県外で工学を学ぶ団体客まで100組以上が訪れました。
見学者が来ると2時間以上にわたって説明することもあるという志賀さん。その活動は展示室だけにとどまりません。自ら学校や博物館などに働きかけ、展示会を開催したり講座を開いたり。
(志賀美英さん)「自分で(鉱石を)もって行って宣伝して、関心があれば展示の運びになる」「私は現役時代より忙しい」
さらに執筆活動も行うなど、大学退職後も研究と並行して鉱物の普及活動に精力的です。志賀さんが長年取り組んでいることはほかにも。
鹿児島市南部の下福元町にある「錫山鉱山跡」。江戸時代初期からおよそ300年にわたって薩摩藩の財政を支えた、国内有数の錫の産地です。
錫は、県の伝統工芸品「薩摩錫器」の原料として使われてきました。しかし、外国産の安価な錫が輸入されるようになり、鉱山は1988年に閉山。いまでは草木に覆われ、その面影はなくなっています。
(志賀美英さん・過去のインタビュー)「錫山には立派な遺構がたくさん残っているが、管理も不十分で壊れてなくなってしまうのではと心配している」
そこで、志賀さんが行っているのが、錫山鉱山の見学会です。
(志賀美英さん)「地元の人も(鉱山を)忘れているし、現場を案内できる人はほとんどいません」
広く錫山鉱山の価値を伝え、未来に残していくことが自らの使命と丁寧に案内します。
(参加者)「思っていたよりも残りがいいので、そういう意味でも驚いている」
(参加者)「薩摩藩の財産をこういうところでつくっていたんだと。生活というか、その時代の基盤をみているような感じがする」
(志賀美英さん)「非常に由緒ある重要な鉱山。これはぜひ保存しないといかん」「元気なうちは続けたいと思っています。鉱物資源の存在価値をみなさんに知ってほしい、それが私の最善の目的ですから」
志賀さんの鉱物資源の保全と普及活動は続きます。