暮らしを変えたケータイ

きょうのテーマは携帯電話です。平成に入って急速に普及した「ケータイ」によって、私たちの暮らしは大きく変わりました。


私たちの生活にとってもはや手放せない存在となっているケータイ。
平成に入って急速に普及し、契約数でみれば、1人あたり1台以上所有している計算になります。

その登場は、今から34年前にさかのぼります。

昭和59年。固定電話しかなかった当時、ケータイの原型ともいえる自動車電話が、鹿児島で初めて登場しました。
その通話第一号は当時のミス鹿児島でした。

(ミス鹿児島の女性)「とてもよく聞こえますし、本当に便利だなと思って話している次第でございます」

その翌年、NTTが、自動車電話を持ち運べる形に改良した「ショルダーホン」を販売。

重さは3キロ、初期費用は20万円といわれ、九州でも企業の経営者などが使っていましたが、多くの人にとってはまだ手の届きにくい存在でした。


しかし、平成に入ると小型化と低価格化が進み、その利用は急速に広がりました。
さらに携帯各社はユーザーを取り込もうと多機能化も進めました。

平成11年にはNTTドコモが世界で初めて、携帯電話からインターネットに接続できる「iモード」サービスを開始。
メールに写真や動画の撮影、ゲームに音楽…。機能の進化とともに、「絵文字」などのいわゆる「ケータイ文化」も生まれました。

そして、平成20年。ケータイは大きな転機を迎えます。
この年、アメリカのアップル社がスマートフォン「iPhone」を発売。発売日には鹿児島でも店に客の列ができました。

スマートフォンの登場は、ケータイの概念をいわば「小さなパソコン」に変えました。


一方で、「ケータイ=若者の物」という今までの常識も変わりつつあるようです。
(ドコモCS九州河村学鹿児島支店長)「スマホをやりたいという高齢者も増えていて、周りが使い始めたから私も使おうという人も多い。逆にこれからが(利用が)伸びる時期では」

県内では高齢者向けのスマホ・タブレット教室も開かれています。
NPO法人「鹿児島ASC」は、鹿児島市内5か所で教室を開いていますが、ほとんどが定員に達しているといいます。

(受講生)「今からの時代は私たちも必要かなと思って。(難しい?)最初はね」

受講3年目の宇宿善允さん(77)。そのケータイの使い方は…。

(宇宿さん)「カラオケテープがいらなくなった」

4年前に妻を病気で亡くし、ひとり暮らしの宇宿さん。趣味のカラオケを手軽に楽しみたいとスマートフォンを使い始めましたが、いつしか生活を支える存在になったといいます。
(宇宿さん)「12時に起こして。」

LINEなどSNSはもちろん、料理のレシピ、地図、バスの時刻、ごみ出しの日の確認まで使い方は様々。
さらに…。

(宇宿さん)「重宝、重宝ですね。昭和生まれの私たちが使うとは考えられなかった。未来は楽しみですね」


私たちの暮らしに浸透したケータイ。

ただ、一方では個人情報などを狙ったサイバー犯罪も新たに生まれました。
また、日常生活に支障が出るほどケータイに没頭してしまう依存症も課題です。

こうしたケータイの未来について研究者はどう見ているのでしょうか。
(斉培恒教授)「どまでも曲げられる携帯電話、あるいは水に全部入れても構わないとか、たぶん出てくると思う」

第一工業大学の斉培恒教授です。民間企業などで携帯電話に使う半導体などを開発してきた斉教授は、今後はケータイ自体の技術的な進化だけでなく、インフラとして地域社会にどのように取り込んでいくのか?そのシステム作りが求められる時代になると考えています。

(斉培恒教授)「次の夢はお年寄りの遠隔医療システムの基盤作り。スマホで医者の検診が受けられるシステム。高齢化の中でケータイを社会・安全・生活に取り込むことが大事」

今や暮らしに欠かせない存在となっているケータイ。
地域社会における役割は、今後、さらに拡大していくことになりそうです。