明治元年9月11日 新政府軍 庄内藩へ反撃
きょうは明治元年(1868)9月11日です。東北の新政府軍は、久保田藩内に攻め込んでいる庄内藩に対し反撃を開始しました。
新政府軍は久保田城に、奥羽鎮撫総督府を置き、東北の鎮圧を進めています。
対する奥羽越列藩同盟では、離脱や敗戦が相次ぎ、30数藩が半分近くにまで減っています。不利な戦局を打開するため、列藩同盟側の庄内藩は、久保田城の攻略を目指しました。
庄内藩はきのう、水野藤弥ひきいる四番大隊が、久保田側の要衝、椿台に迫り近くの糠塚山を押さえ激しく攻めました。
これに対し新政府軍は、きょう薩摩藩兵の隊長・和田五左衛門を中心に、福岡藩、佐土原藩、新庄藩、久保田藩などの連合部隊が反撃を開始。
火力に勝る新政府軍は、午後には糠塚山を奪還し、庄内藩兵を追撃し、夕方には南に15キロほど後退させました。
庄内藩は、1日の損害としては最大となる死傷者96人を出し、久保田城の攻略は失敗しました。