慶応4年7月2日 新政府軍 秋田・久保田城へ
きょうは慶応4(1868)年7月2日です。新政府・奥羽鎮撫総督の九条道孝が、きのう、奥羽越列藩同盟側の秋田・久保田藩の城に入ったことが分かりました。
奥羽鎮撫総督は、3月、会津を討つため仙台藩に入り、拠点を置いていましたが、仙台藩は会津側に付き、総督の九条らは軟禁されていました。
九条らは、その後到着した新政府軍の佐賀藩兵に引き渡され転々とし、きのう久保田城に入りました。藩主の佐竹義尭が、九条を城に招いたということです。
九条のもとには、佐賀などの藩兵およそ900人がいます。
別の経路で久保田藩に入っていた副総督の澤為量が率いる薩摩、長州などの藩兵およそ350人も合流し、1200人余りの新政府軍が、久保田城に集結しました。
久保田藩は奥羽越列藩同盟に参加していますが、もともと勤皇の気風があり、藩内では新政府側と同盟側のどちらにつくかいまだに意見が割れているということです。
久保田藩の行動に対し、列藩同盟側の強い反発が予想されます。