【8・6豪雨 30年目の証言⑤】793戸が浸水被害も放水路はまだ未着工「安心できない」稲荷川
30年前の8・6豪雨災害を体験者の証言をもとに振り返るシリーズ。5回目は、鹿児島市の稲荷川流域の証言です。
(春山紀生さん)「(川を流れてきた)木が立つのにびっくりした。まっすぐ立った。こんなことがあるのかと思った」
鹿児島市池之上町に住む春山紀生さん(82)です。30年前の8月6日は、稲荷川沿いにあった自宅を兼ねた電気設備会社にいました。それまでも年に数回、水がひざ下まで上がることはあったものの、あの日は違いました。
大雨によって稲荷川が氾濫し、県内最古の橋と言われた実方太鼓橋が崩壊しました。春山さんの会社周辺の住宅地でも、川の水がみるみるうちに上がってきました。
(春山紀生さん)「洗濯機が一番多かった。浮いて流れている。(当時は)屋外に置いているところが多かったのでしょうね。それくらい水かさが増すのが早かった」
濁流が堤防を越えていく様子を、春山さんはカメラに収めていました。自宅前の一ツ橋が崩落する直前の記録です。会社の隣の駐車場にとめていた車も次々と水につかる中、車が流されないように社員が縄で車同士を縛りました。
(春山亮さん)「ここに車をとめて、自宅の状態を確認しました。歩いて帰れる状態ではなかったけど、まだ(堤防を水が)越えてはいなかったです」
春山さんの次男・亮さん(51)。当時は大学生で、天文館にいました。雨が強まったため、車で帰宅しようとしましたが、自宅前は水が胸の高さまで上がって近づけず、周辺が水に浸かっていく様子を高い場所にある公園から見ていました。
(春山亮さん)「(水の高さが)胸まで来ているのを見て、足がガクガク震えた。家が水に飲まれていく感じがして、大丈夫なのかと思ったのが忘れられない」
自宅を兼ねた会社の建物は3階建てだったため、周囲の平屋に住む人たちも2階の事務所に避難し、朝まで会社で過ごしました。
稲荷川の下流域は住宅密集地を蛇行していて、床上・床下浸水は合わせて793戸に上りました。
春山さんの自宅前の一ツ橋も一部が崩落。春山さんの会社は資材などが置いてあった1階部分が浸水して大きな被害が出たため、数年後に近くに移転。会社があった場所には自宅を建て直しましたが、浸水に備えて居住スペースは2階にしました。
(春山亮さん)「一ツ橋の方を見ると、左から水が流れてきた。反対側にも両方に暗きょがあるので、暗きょに挟まれている状態で、このあたりの人はまったく身動きがとれなかったと思う」
当時、一ツ橋のたもとは地面がえぐれ、バスがひっかかっていました。現在は何事もなかったかのように整備されていますが、今もここには暗きょがあります。
(春山亮さん)「ハザードマップには、ここに川があるという情報が載っているが、両サイドの暗きょは載っていないので、災害発生時は、水の流れを予測できない、経験した人だけしか」「どのような被害が出たか、検証が必要」
稲荷川は下流のおよそ1.2キロを最大2メートル拡幅するなどの河川改修を行い、流量も毎秒70トンから140トンまで増やしましたが、8・6水害並みの雨に対応できる能力はまだありません。稲荷川では海までのおよそ1キロに及ぶ放水路の建設計画がありますが、着工のめどは立っていません。
今月3日の大雨の際には稲荷川も増水しました。流域での対策が停滞する中、春山さんは不安を抱えたまま30年の節目を迎えようとしています。
(春山紀生さん)「バケツをひっくり返したように雨が降る。あれが続いたときが大変」「安心はできない。放水路をつくってもらうことになっているが、延期、延期でまだかかるみたい。でもここの住民は早く取り掛かってもらえたらと思う」
(MBCニューズナウ 2023年7月28日放送)