熊本地震から4年 震災経験したアナウンサーが見た被災地の今

去年10月に入社したMBCの村上アナウンサーは、熊本地震の発災当時、熊本市のコミュニティFMでパーソナリティーをしていました。
熊本地震から4年、被災した人々の生活再建の歩みはそれぞれですが、いまも仮設住宅で暮らす家族もいます。熊本市の東に隣接し、最も被害の大きかった益城町などを取材しました。


2016年4月14日に発生した熊本地震。14日のマグニチュード6.5の前震のあと、16日にマグニチュード7.3の本震が起き、最大震度7を2回観測。一連の地震により、直接死だけで50人が犠牲となりました。

当時、私がパーソナリティを務めていた熊本市の熊本シティエフエムです。14日の前震が発生したのは午後9時26分。熊本市の自宅で揺れを感じた私は、すぐに局のスタジオに向かい地震から14分後、ラジオで第1報を伝えました。


熊本市に隣接する益城町です。町内の住宅などおよそ1万8000棟のうち、97パーセントが全壊や半壊などの被害を受けました。

(村上アナ)「更地や新築の家もあるが、道路には亀裂の入ったままの場所もある」

住宅街には、損壊して手つかずの建物や解体され更地となった場所、建築途中の家などがあり、4年経った現在も生活再建の歩みはそれぞれです。

(中村誠男さん)「断層があるとは知っていたがやっぱり油断でしょうね。あんな大きい地震が来るとは。2回来たから」

益城町で暮らす中村誠男さん(72)です。地震で自宅は全壊。同じ敷地内にある娘夫婦の家は半壊しました。国や県から補助金はでましたが、それでもおよそ2000万円を手出しして自宅を建て直した中村さん。町内会は地震前、70世帯でしたが、戻らない住民も多く、現在30世帯ほどだといいます。

(中村誠男さん)「10年かかっても元には戻らないだろう。高齢者も家を建てられるが次の代で住む人がいない。だから家を建ててもなぁと二の足を踏んでいる人が多い」
「日本列島は地震で成り立っているからどこに住んでも一緒。家具固定はやるようにしている」


自宅に戻った住民がいる一方、元の場所に戻れない住民もいます。保育士の羽柴泉さん(43)。小学6年の息子と、5歳の娘の3人で仮設住宅で暮らしています。

(羽柴泉さん)「(4年間)いっぱいいっぱいだった。その日を生きていたら今になった」

当時、3人で暮らしていた築100年以上の祖母の家は地震で全壊。車中泊やテント生活を経て、地震から4か月後に仮設に入りました。

(羽柴さん)「今同じことやれって言われたら無理だけど、子どもも含めて嫌な思い出にしたくなくて、もらったテントでキャンプした。楽しい思い出に塗り替えられていると思う」

益城町では、地震後、仮設住宅などに最大で3000世帯が暮らしていましたが、その後、災害公営住宅などが整備され、現在は640世帯に。6月には、およそ100世帯になる見込みで、仮設住宅も1か所に集約されます。羽柴さんも公営住宅が割り当てられましたが、息子の通学や娘の保育園の転園など支障があるため、今後も仮設住宅に残る予定です。

(羽柴さん)「大きいのは家賃かもしれない。元の敷地に自宅を再建しようとしたら、まだまだ先になるので、現実的ではない」
「経験しないとわからないと思う。逃げれるときに、今と思ったら逃げたほうがいい。」


熊本地震は、布田川断層と日奈久断層が連動し発生したとみられていて、町の中心部の直下を断層が走る益城町では大きな被害が出ました。

(益城町総務課 中桐智昭参事)「布田川断層が通っているのは知っていたが、いつ動くかわからない中で起こった地震だった。震度7が2回も起こると、避難所が壊れて足りない。災害時に自分はどう行動するか、家庭で話してほしい」

鹿児島県の防災計画では、鹿児島湾直下や出水断層帯など12の地震で最大震度は、熊本地震と同じ「7」を想定しています。地震の専門家は、県が想定している地震以外にも熊本地震のような地震がいつどこでおきてもおかしくないと指摘します。

(鹿児島大学 井村隆介准教授)「活断層として知られていないところでも地震は起こる。断層帯ないところも安全ではない家具固定。4年の節目でもう一度考えてほしい」

突然やってくるかもしれない大きな地震に対し、自分や大切な人の命を守るためには何が必要なのか。熊本地震を他人事にせず日ごろから備えることが重要です。

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