川内川の治水対策は
熊本、宮崎、鹿児島をまたぐ延長およそ137キロの川内川。これまで何度も水害に見舞われてきました。
1969年6月から7月にかけての水害では、死者・行方不明者52人、1万3000を超える建物が水に浸かりました。
薩摩川内市街地も広い範囲が水に浸かり、当時、1階部分が浸水したというこちらの病院には、今も水に浸かった跡が残っています。
院長の若松大介さん(60)は、当時、小学5年生でした。
若松記念病院・若松大介院長「雨がやんでから水位が上がってきた。裏の方で豚が犬かきしていました。食事はいろいろなところから差し入れを頂いて、家の二階にボートがついておにぎりとか頂いた」
萩平記者「薩摩川内市の中心街にある向田公園です。こちらには昭和40年代の水害をあらわした塔が建立されています」
菱刈昭郎さん88歳は、当時、市街地で菓子店を営んでいて、ライオンズクラブの会員としてこの塔の建設にも関わりました。
最近は災害の記憶が薄れつつあるとして、改めて警鐘を鳴らします。
菱刈昭郎さん「みんな忘れてます。あの時はすごかった。ここから下は全部浸かっている。全滅ですよ。店のウインドウはなかった。冷蔵庫はなかった。水は怖い」
その2年後の1971年にも7月、8月と立て続けに水害があり、死者・行方不明は60人にのぼりました。その後、改修工事が進み、安全性は高まったと思われていましたが・・・・
11年前の2006年7月、流域で1000ミリを超える大雨が降って、各地で氾濫。死者・行方不明者は2人、2300戸を超える建物に被害が出ました。
この県北部豪雨災害を受け、国は、激特事業で集中的に川内川の河川改修を進め、上流にある鶴田ダムの改修も進めました。
川内川河川事務所・甲斐公久技術副所長
「特に(川内川の)中、上流部は堤防もないところもあったり、そういうところは家屋の浸水被害を防御する(激特事業の)効果はあると思います」
「たびたび水害を引き起こす川内川ですが、薩摩川内市街地でも今、川幅を広げる工事が行われています」
薩摩川内市街地は、県北部豪雨災害では大きな被害は出ませんでした。
しかし、水が堤防を越えかねない状態だったとして、国は今、市街地の河川改修を進めています。
川内川河川事務所・甲斐公久技術副所長「(県北部豪雨水害では)ぎりぎりの状態だった。(川内川は)非常に高い水位だった。
川幅を広げる事業を進めている」河川改修が進めば市街地の川幅が最大で60メートル、平均で35メートル広がり、水を流す能力が格段に向上するといいます。
薩摩川内市・岩切秀雄市長「堤防が決壊すると全滅。川幅を広くして補強していただくのは大変ありがたい」流域で進むハードの整備。
しかし、限界もあるとして、川内川河川事務所では川の水位の情報をインターネットでリアルタイムで発信するソフト面の対策にも力を入れています。
川内川河川事務所・甲斐公久・技術副所長「私たちが知りえた情報を伝えた上で避難していただくいざ雨が降り出したら川の水位にも気を使っていただきたいと思います」
過去の災害を踏まえ、対策は進むものの、一方で国内では近年、過去の想定を上回るような豪雨の被害も相次いでいます。早めの避難など、いざという時の備えが求められています。