豪雨災害から1か月 氾濫した薩摩川内市・春田川の教訓
鹿児島県北部を襲った豪雨災害から1か月。
薩摩川内市街地が大規模浸水した春田川の氾濫。排水ポンプの不具合が指摘される一方で、専門家はハードに頼り切らない避難の大切さを訴えます。
大久保記者の取材です。
7月9日深夜から10日にかけて県北部で起きた豪雨災害。人的被害はなかったものの、総雨量は550ミリを超え、5市町に大雨の特別警報が出されました。
川内川の支流9河川が氾濫するなどした中で、大きな被害となったのが薩摩川内市中心街が浸水した春田川です。
午前6時すぎに側溝などから内水氾濫が始まり、午前7時すぎには春田川が氾濫。市街中心部の東西1.7キロに及ぶ24ヘクタール、142棟が浸水し、水の高さは最大で1メートルに達しました。
市街中心部で自転車店を営む児玉洋さんです。
あの日、あさ7時すぎアパート4階の自宅から下を見ると一面が水没し、川から水があふれていました。
(児玉洋さん)「茶色い濁った水で駐車場がいっぱい」
あれから一ヶ月、児玉さんは防災の大切さを改めて感じたと振り返ります。
(児玉さん)「一級河川を持つ地域としては常に意識しながらすごしていかなくては」
川内駅の東側・自動車学校の近くに住む富園知里さん。家の2階から下を見たら、一帯が水に浸かっていました。
(富園知里さん)「家の2階のベランダにいました。外を見てみたら川があふれそうになっていたので、びっくりした。大人の膝ぐらいいっていた。命に関わることなので(防災について)学んでいかないといけない」
先月、29日に国と県と市が合同で行った住民らへの説明会です。冒頭で国の川内川河川事務所が陳謝しました。
氾濫した春田川と川内川の合流点にある国の排水ポンプ・向田排水機場です。
今回、ポンプ2基のうちの1基で不具合があり、2時間半運転できない状態が続きました。
当初から2基とも動いていれば氾濫が低減できた可能性もあり、国と市は検証を進めています。
ポンプの不具合が、どの程度氾濫に影響を与えたのか?専門家は・・・
(井村隆介准教授)「ポンプだけが(氾濫の)原因ではない。被害を軽減できたかもしれないが、つかることは防げなかったのではないか」
地質学が専門の鹿児島大学・井村隆介准教授です。
おととし春田川を訪れ、MBCの取材に対し氾濫のリスクを事前に指摘していました。
(井村准教授)「水門やポンプで(水を)上げるという形で内水氾濫防ぐ施設。川内川のそばにあって地形的に低いということは全く変わっていない。(今後も)同じような(氾濫が)起こってしまう」
今回、改めて現地を調査した井村准教授。氾濫地点の橋の下にある水路に注目します。
(井村准教授)「低い地域の側溝などの水を集めて放流している。春田川の水位が排水溝のレベルより上ってしまうと春田川があふれなくても排水できなくなり、道路で側溝があふれてしまう」
春田川の氾濫は過去も起きていました。記録に残る最悪の被害が排水機場が設置されるきっかけにもなった、2人が死亡した1969年の集中豪雨です。
このとき川内川本流は辛くも氾濫を免れましたが、市街地一帯が水没。
市役所の近くには高さ2.5メートルもの浸水をしたことを記す碑が残されています。
52年まえの氾濫を体験した菓子店を営む川畑善照さんは・・・
(川畑善照さん)「50メートル先の自宅で膝まできた。(3号線をはさんだ)神田町では2階の床まで(水が)きた。地域のひとたちに(災害の歴史の)話を大事だから伝えていきたい」
春田川については排水機場の管理は国の河川事務所。
川自体の管理は県。
住民の生命・財産を守る責務は市が負っています。
しかし川を管理する立場でなくても、氾濫情報をいち早く出すなど命を守る対応を一歩でも進めるべきではないか・・・MBCの質問に、田中良二市長は・・・
(薩摩川内市 田中良二市長)「私もそう思う。住民避難の発出の責任権限は市町村長にある。全域で冠水・越水もあり、全容を瞬時に把握できなかった。検証して反省すべきは反省して改善していかなければならない」
鹿児島大学の井村准教授は、ポンプや堤防などのハードに頼り切るのではなく、春田川含め川内川水系が1級河川に指定されている意味をいま一度住民に考えて欲しいと訴えます。
(井村准教授)「(川内川は)暴れ川だから1級河川=国管理になっている。ダムを作り堤防を高くしたりすることはされているが、完全に暴れ川を抑えこめるようなものではない」