扇山土砂災害から28年 住民が語る教訓とは

9月3日は、1993年、南さつま市金峰町の扇山地区で20人が亡くなった土砂災害から28年です。災害で半分の住民を失った集落に今も残る人たちの話から、土砂災害から命を守るための教訓を考えます。

異常な長雨が続いていた1993年の9月3日、戦後最大級といわれた中心気圧930ヘクトパスカルの台風13号が薩摩半島に上陸。

南さつま市金峰町では、時間雨量114ミリの猛烈な雨が降りました。その結果…。

扇山地区で発生した土砂崩れが1軒の民家を直撃。この家に避難していた20人全員が命を落としました。

崩れた跡が今も残る扇山地区。当時は50人以上が住んでいましたが、今は6人にまで減り、当時を知る人も少なくなりました。

(中堂園信子さん)「朝起きたら1番に(崩れた山が)見えるもんだから、あの人たちの顔を思い出す。扇山がなくなった!って叫んだもんなあ」

中堂園信子さん(85)は、当時を知る住民の1人です。28年前、住民らが1つの家に避難していると連絡を受けていました。

(中堂園信子さん)「世界最大級の雨で、上の人は水がすごいって。あそこが崩れるとは思ってなかったから、分かっていれば、『私の家に来なさいよ』って言えたんだけど。」

一方、同じく今も扇山集落に住む中堂薗照子さん(88)は、28年前、2歳上の姉、路子さんを亡くしました。

(中堂薗照子さん)「(救助されたとき)泥まみれで全然分からない、誰が誰か。私も1人になったから、姉さんが近くにいたらいろんな話ができたのに」

当時、集落を1班から3班に分けていた扇山地区。

記録的な大雨に危険を感じた2班の20人だけが、山から距離があり、最も安全と思われていた家に避難しました。

しかし不運にも、その家の裏山だけが崩れました。

崩れた山は、住民からは「丘」と呼ばれるほどなだらかで、過去に崩れたことがなかったことも避難先に選ばれた理由のひとつでした。

(照子さん)「昔から、あそこが崩れたことはなかった。先輩の人たちも、あそこが崩れたっていうのは親からも聞いたことがなかったってみんな言ってる」

砂防学が専門の鹿児島大学・地頭薗隆教授は、当時の状況をこう分析します。

(鹿児島大学・地頭薗隆教授)「扇山の場合、なかなか崩れる地質ではない。これまでずっと崩れてない斜面というのは、崩れる物質である風化物がどんどん厚くなっている途中だということ」

山では、生えている木がだんだんと成長して根を張り、モグラやミミズが表面の土をほぐしていきます。このほぐれた表層が崩れる物質です。年数が経つと、この表層が厚くなり、そこに大雨が降ると崩れ、崩れたところからまた木が生えてきます。

このサイクルは、鹿児島に多いシラス台地で100年ほどの周期だといいます。

地頭薗教授は、長年崩れていない場所こそ、いつ崩れてもおかしくない段階にあると考え、雨が続いた時などには早めの避難が重要だと指摘します。

(地頭薗教授)「28年前に崩れたときは2、3メートルという表層崩壊にしては深い形で崩れた。これまで崩れたことがない、だから大丈夫じゃなくて、これまで崩れてないから、崩れる危険性があると考えないといけない。前もって避難、早めに避難が基本」

20人を失った扇山集落。

現在の自治会長、畠中博文さん(57)は、28年前を教訓に、大雨や台風のときには、市からの情報が出る前に避難所を開け、住民に避難を呼びかけています。

(畠中博文さん)「まさかのことが実際にここで起きた。災害や事故で1人でも亡くならないことを目指している」

(中堂薗照子さん)「こんなことが二度とあってはいけない。川のそばとか大きな崖があるところは、避難をした方がいいってつくづく思う」

これから迎える本格的な台風シーズン。扇山の悲劇を繰り返さないために、避難のタイミングや避難先が本当に安全なのか、今のうちから自分事として考えておくことが重要です。

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