企画・特集

#73 清田 雄三 さん

90年以上続く屋久島の食堂、八重岳食堂の店主清田雄三さんです。創業何年だったんですかね。

旧屋久町の郷土史に昭和8年には存在していたと書いてありますので、その頃には店があったということになります。

雄三さんは、何代目になるんですか。

私は3代目ですね。屋久島の東側に安房という町があるんですけども、お店は安房川にかかる赤い橋のすぐ手前にあります。少し南の方に行くと、屋久杉自然館とか世界自然遺産センターがあります。お店には関東や北海道など全国から、最近では外国の方もたくさん来られています。

その昔、かつて安房川には、定期船が停泊していたそうですね。

そうですね。荷物を抱えながら「はしけ」を使って降りてくる人たちとか、そんな人たちを迎えに来る人たちでたくさんにぎわっていて、それで昼になるとトビウオ漁の大漁旗をはためかせて、漁師さんたちが来ました。それから昔、屋久杉搬出の中継基地があって、小杉谷という集落があったんですけど、そこからトロッコで到着して、うちの店に来て・・・そういう人たちがたくさんいたらしいですね。

おばさんが始められて、お母さん、今は奥様っていう形なんですかね。

そうです。

先ほどお店は安房川にかかる赤い橋のすぐそばっておっしゃいましたが、昔は白い橋だったそうですね。

そうですね。白い橋で吊り橋だったんですよ。それが老朽化が進んで昭和50年代ぐらいになって取り壊されて、今のような形になったんですけども。

そんな景観も変化する屋久島を見守ってきたのが、八重岳食堂なんですね。そうしましたら、おば様お母様、そして奥様にも感謝してらっしゃるんじゃないですか。

そうですね。うちはどっちかっていうと、女性がもう守ってきたっていう感じなので、感謝しかないですね、本当に。

お母様から昔の話をたくさん聞いていらっしゃるんじゃないですか。

うちは昔、食堂だけではなくて下宿屋もやっていたそうなんですよ。

それでダムを作る作業員の人や単身赴任の公務員の人たちが、昼も夜もご飯を食べに来て、それを出していたようですよね。父はトビウオ漁師というか潜水夫だったんですよ。潜水夫の仕事が抜けるときにトビウオの漁師していて、おふくろたちも3日連続とか4日連続で一緒に漁に出たこともあったそうなんです。

釣れたトビウオを、お客さんに提供するということもあったんじゃないですか、今も。

そうですね。今は観光の方には屋久島定食といって、地元で採れた刺身とか、トビウオの一夜干とか、トビウオのつけ揚げとか、そういうのをセットで出しています。

目指すは、まずは100年ですね。

100年やれば3代目として形がつくかなと思ってます。

奥様にも頑張っていただいて、夫唱婦随で食堂盛り上げてください。

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