毎月、日本の偉人を紹介しています。
今月は「河原操子」
みちこ先生も初めて聞く方で、知る人ぞ知るという方です。
一言で言うと、初めは清国女子教育の先駆けで、のちにモンゴルに女子教育の花を咲かせた人です。
すごい人ですね!!
明治8年、1875年長野県生まれ。
明治の中頃に清国やモンゴルに行ったんです。しかも一人で。
河原 操子は、漢学者である父の薫陶を受け、清国情勢などについて、父が、門弟たちに語るのを傍で聞きながら、育ちました。
14歳で母を亡くした操子は、父に孝行しようと、清国のことを勉強することが、父を悦ばせることになると決意。東京の女子高等師範・現在のお茶の水女子大学で学びます。
そうして、当時の女子教育の第一人者である下田歌子と出会い、横浜の清国の女子を相手に教鞭をとりますが、これが、日本女性による清国人女子教育の魁となりました。
そして明治35年、上海の務本女学堂から「女性教師が欲しい」と歌子に依頼があり、操子は日本から外国に行く初めての教師という責務を担うことになりました。
日本の代表のような立場ですね。
上海で、操子は子どもたちに教える前に、大きな選択を迫られます。それは、通常外国人が住む安全な「租界」に住むか、それとも不潔極まりない「城内」に住むか。
「城内」は、鼻をつままなければ臭いで気絶し、眼を閉じていなければ、汚物で嘔吐を催すほど不潔で、風呂場もなく、草も木もなく、食べ物さえ手に入らないところだったのですが・・・
操子は「校舎も子どもたちの宿舎も、伝染病の温床のようなこの不潔な城内にある。
子どもたちは、毎日この城内で生活しているのに、教師である私だけが、快適な場外に身を置いていたのでは、自分に課された使命を果たせないのではないか」と。
こうして、現地の住民と寝食を共にする日本人の先生は、多くの生徒たちから、一挙手一投足を生徒たちが真似るほど慕われました。
そして、1年余り経った明治36年11月、操子は上海から北京を経て蒙古へ転勤する辞令を受け取りました。
続きはまた来月お届けします。
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