京都大学総長の山極壽一さんです。
山極さんはゴリラの研究者として知られています。
アフリカなどさまざまな森を見てきた山極さんが大切にしている屋久島への思い、そして不思議な体験を聞きました。
霊長類学者、そしてゴリラの研究の第一人者として知られる京都大学・山極壽一総長。
山極さんが屋久島を初めて訪れたのは1970年代半ばのことでした。
屋久島の野生のサルに魅せられ、調査をするためでした。
そして屋久島の原生の森に圧倒させられたのです。
「やっぱり神々の住む場所だと思うね。やっぱり神々しさがあるわけですね、要するに人が入って色々作り変えた自然というのはやっぱり自分が自然に居住まいをたださなくちゃならないっていう心には、なれないわけですよね。人々が手をいれた跡があちこちにあって、そこはむしろ言い方は悪いかもしれないけれど人におもねている自然なんですね。
屋久島の自然というのは、やはり厳として私たちの安易な気持ちを拒んでくれる。
だから私は自然科学者ですけれども、屋久島の森の中で何度も神様に出会っているわけだよね、と私は思えるような出会いをしている」
「盆の日にね、サルを見にいったんですよ、西部林道にね、谷までね。はさみ石っていう谷があるんだけどさ、その道下でサルを見ていたらね、すーっとサルがいなくなったんですよ。あれ?おかしいなと思ったら、上の方から人の声が聞こえて、なんか怒っているような声なんですよ。
声だけ、どんどんどんどんどんどん近づいてきて、目の前を声だけ通っていくっていう、誰も人の姿は見えない。
あれって思っておかしいな、ちょっと背筋が凍ってさ。
村に逃げ帰ってさ聞いたら、盆のときに山に行くからだよって言われて、神様に怒られたんだよって言われたのね。屋久島の神さん優しいんですよ、怒るけどね。
大体、僕は男の神様にしか会ったことないです。
まぁでも要するにそこで無視して何かやっていたら、大きな事故に遭ったかもしれない、他にも色々なエピソードがありますけれどね、出会うんですよそういう時にね」
「僕ね、もっとすごいエピソードを聞かせてあげようか」
そういって山極さんは、今度は里で神様と出会った話を聞かせてくれました。
屋久島の山や森、そして里にも神様がいるのかもしれません。
(ゴリラの森と屋久島の森)
「私はそれからアフリカの森も随分歩いてきたんだけれども、アフリカの自然も思うほど原生の姿を留めていなくて、いろいろな人の手が入ったり、伐採の手が入っています。
それに比べても屋久島の自然というのは見劣りがしない、むしろもっと素晴らしいんじゃないかと思うくらい神々しいですね。
その神々しさっていうものは人の心によって続けられてきたと思うんですよね。
地元の人の心がそうであったから、我々も当初目指したのはですね、地元の人たちに習って自然というものを見つめ直そうと。
それを一方では科学の力で解明しようということだったんですね。
それをやっぱり地元の人たちも失い始めている可能性があるわけですよね。
そこはやっぱり我々外からきた人間と一緒に屋久島の自然の神々しさっていうのを守っていかなくちゃいけない。
縄文杉だけで保たれているわけではないんですよね、縄文杉を作り出した屋久島の自然と人なんですよね、それがいまだに生きているから屋久島という森の気高さがあるんだと思うんですね。そこを忘れてはならないと思いますね」
(自然からのメッセージ)
「自然というのはそんなに簡単いできていないわけですよね、要するに自然というものは文字に書き表すことが出来ないんです。それは人間が作ったものじゃないからです。
人間が作ったものじゃないからこそ、いま人間が考えていない、色々なメッセージを投げかけてくれるわけで、それは言葉で受け止めることはなくて、感性で受け止めなくちゃいけないわけですよ。
それがまさに自然から与えられる気づきなわけで、そういうことが出来る場所っていうのがもはや日本の中では屋久島以外にはほとんどないっていうことだと思いますね。
そういう出会いを屋久島の中で作るのがこれからも必要なんじゃないのかなと思いますよね」