明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学ぶこの番組。
昨日は、郷中教育の中で行われる「詮議」が、実践的な知恵や判断力を鍛える上で大きな役割を果たしてきたということをお伝えしました。
辞書によると、「詮議」という言葉には「罪人を取り調べること」という意味と、「評議・検討して物事を明らかにすること」という意味があるそうです。
郷中教育で行われる「詮議」は、後者の「評議・検討して物事の真理を明らかにすること」です。
先月、歴史家の加来耕三さんが番組にご出演くださった時、
「敵討ちをするため全国を回っている時、時化の海の中で敵の船に助けられた。さあ、どうするか?」
というお題を出されて、私は答えに詰まってしまったのですが、郷中教育の中では即答することが求められていたと加来さんはおっしゃっていました。
このほか「詮議」では
「友達が盗んだお金をあなたにあげると言う。あなたはどうする?」
「殿様と父親が病気だ。薬は一つしかない。どうする?」
など、さまざまな設問が挙げられ、自分だったらどうするかを各自考えて述べあい、皆で議論する、ということが日常的になされていたそうです。
そして、全員で「詮議」を尽くして答えが出された後は文句を言わない、という決まりごとがありました。「ギを言うな」という言葉の本来の意味です。
議論をする立場を与えられたのにも関わらず、その場で意見を述べず、後から文句を言うのは恥ずかしいこと、とされていたのです。
薩摩の武士には「男は黙って」というイメージをなんとなく抱いていたのですが、自分の考えや意見をきちんと述べ合い、議論を交わすことが尊重されていたのですね。
それでは、薩摩の知恵と判断力を育んだ「詮議」について、明日もお話を続けてまいります。