薩摩の教え

郷中教育20

今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。

 

郷中教育の原点は、「文禄・慶長」の二度にわたる朝鮮の役にあります。
朝鮮の役には、薩摩からおよそ1万名にも及ぶ兵士が出陣、しかも戦いは10年近い長期間に及びました。後に残された人たちと言えば、ほとんどが女性と子供達ばかりです。

「婦人達は、独り寂しく寝室を守り、孤児や寡婦かふ 即ち 未亡人は、次第に増加。未婚の女性は、婚期を過ぎて、ため息ばかり。」

つまり10年にも及んだ戦争のため、戦争未亡人が増え、また適齢期を迎えた若い女性の結婚相手になる青年達は、戦場に借り出されて数少ない状態でした。
その結果、女性達は、留守を守っている青年達を特別な目で見るようになりました。

 

かつては10才だった少年たちは、10年に及ぶ朝鮮の役の為、やがて二十歳の青年となり、この青年達を女性は、好奇心を持って待遇し、華美な衣装をまとわせ、贅沢な食べ物を並べて厚くもてなす ―
こんな状況が鶴丸城下で繰り広げられるような社会情勢となったのです。

夫や青年達が10年の長い期間、朝鮮の戦場で戦っている最中、鶴丸城下の城下町は、怠惰な空気が蔓延。抑えようも無いくらい、堕落します。
こういった有様は、朝鮮の役の時ばかりでなく、いつの世でも発生しやすく、現代で言えば、第2次大戦の折にも見られます。

その時には「銃後の守り」と言って、直接戦争に携わっていないが、間接的に何かの形で参加している一般国民の意識を鼓舞する為、様々なデモンストレーションが行われていたようです。

 

では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また来週。毎日めにっごわんそ!

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