明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。今週も西郷さんの言葉を書き残した「西郷南洲遺訓」からご紹介してきました。
今日は、第28条「どんな人でも、正しく生きることはできる」という教えです。
身分の高い低いとか、職業や貧富の差などの区別は、全く関係ないものである。
昔のことを言えば、古代中国の堯・舜は、国王としてあらゆる政治を行ったのだが、
もともと二人の本質は、教育者であった。
孔子は魯の国をはじめ、政治家としてはほとんど用いられず、
何度も困難な目に遭い、庶民として一生を終えたが、
三千人といわれるその弟子たちは、
皆その教えに従って正しく生きるということを実践したのである。
どんな人でも正しく生きることはできると、西郷さんは繰り返し述べています。
ここでは伝説の聖人であり君主だった「堯」と「舜」のことを、ともに「教師」であると言っています。また西郷さんは別のところでは、南北朝時代の武将・楠木正成のことを真儒=真の儒学者であるとも言っています。
つまり、その人の歴史的な役割は王であったり武将であったりしていても、「正しく生きることを教える教師であり、儒学者であった」と西郷さんは指摘しています。
今日は第28条「どんな人でも、正しく生きることは出来る」という教えでした。
来週も、西郷南洲遺訓から、西郷さんの教えをご紹介して行きます。