今週は西郷南洲遺訓の紹介をお休みして、歴史家の加来耕三さんのインタビューをお送りしています。
昨日、一昨日と前田正名や永山在兼について伺いましたが、今日はその続きです・・・。
(加来耕三さん)「明治維新から100年の記念、150年の記念、その都度、薩摩の人気は上がっている。この50年で評価がぐんと上がったのが小松帯刀(その分だけ下がったのが坂本龍馬)。
龍馬がやったことは、実は全部小松がやったこと。
歴史が解明されるほど、本質的に活躍してきた人間がはっきりしてくる。
小松は、国父である久光が賛成してくれるかどうかの落としどころを見つけねばならなかった。
一方で薩長同盟は必ずやらなければならない。じゃあ、どこで妥協できるのか考えて、最終的に辿りついてGOサインを出した。
そんな風に「小松帯刀が偉かった」という論調が出てきたのも、この50年の成果。
例えば、西郷さんが正義だとすると悪役を振られる久光も、業績に対する評価がぐっと上がってきた(文献を見る限り、素晴らしい)。
久光が何を考えていたかというと・・・
異母兄の斉彬から「日本の植民地化を防ぐ」という使命を託され、寺島宗則をわざわざイギリスまで行かせ、イギリス政府の内情まで調べさせている。
そして、外務省まで行って、本当のところはどうなのか確認させた上で、その人間が帰ってくるのを待って、イギリスの公使を薩摩へ呼び、また念押し(薩摩に手を出さない…という)までしている。
で、最後の最後、今ならなんとかなるか・・・というところで、鳥羽伏見の戦いに行くことを決断した。。。」
明日もお楽しみに。