【#36-1】中島タタミ店 中島拓也さん(前編)
早いものでもう師走・・・。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
「日本を元気に!あなたの街のささえびと」レポーターの鶴園直子です。
このコーナーは、「私たちの日常を支える人」すなわち“ささえびと”。
地元や地域、街を盛り上げ、元気にしようと頑張っている“ささえびと”をご紹介します。
11月2週から屋久島シリーズでお送りしております!
今回が最後4人目のささえびと。実は今週来週とお話をお伺いしようと思っております。
今回は「畳文化を支える人」ご紹介します。
その方は、屋久島町の宮之浦地区で今年50年目を迎える畳店、
中島タタミ店 の2代目 中島拓也さん です。
畳の魅力を屋久島から、島内外に発信し続けていらっしゃいます。
🏠中島さんが、畳の世界に飛び込まれたきっかけは・・・。
正直最初は実家の畳屋を継ぐ気はなくて、
高校時代に得意だった英語を生かした仕事につきたいと、大学では英文学を専攻していました。
その在学中に、尊敬するカナダ人の先生の自宅に招かれて、茶室に案内されて座ったときに、
ふと何とも言えない心地よさに包まれました。
その時に「畳のある部屋っていいな~」と感じたんです。
実家に電話をして母に「俺、畳屋するのってどうかな?」と伝えました。
母からは「じゃあ畳の学校に行ってみたら?」との返事。
これがきっかけでした。その後、京都にある畳の専門学校に入学しました。
🏠畳の専門学校っていうのがある!!
私は大学卒業後、京都にある畳の専門学校を卒業しているんですが、
4年かけて畳の技術を学びました。
日中は畳屋で実習を兼ねて、見習いとして働きながら、
夜は学校で学科の授業
畳の歴史や建築のこと、寸法のこと、和室のこと、室内装飾などを学びました。
🏠実際、今タタミ業界ってどういう状況なの?
一言でいうと非常に厳しいです。
畳のあるお家は減る一方ですし、既存のお家もフローリング化している傾向にあります。
さらに畳の表面生地の素材を生産しているイグサの生産者も高齢化が進むと同時に、
安い中国産や化学製品の素材の影響で需要が減り、後継ぎがいない状況です。
平成元年に6000軒台あったいぐさ農家が今は300軒台にまで減ってしまいました。
国産の畳は丈夫な上に美しさに品があり、長持ちをする素晴らしい素材なのに、
そういう情報がまだまだ伝わらないうちに、安い素材ばかりが売れていく悪循環の中にあります。
🏠そんな畳業界を支えるために、今取り組んでいること。
「TATAMI-TO」というチームを、全国12の畳店で立ち上げて、
今いぐさ農家を支える、様々な取り組みをしています。
最初は、畳の原料のイグサを学ぶところからスタートしました。
少しでも美しく長持ちする素材の良さの違いをお客様に伝えること、
それにより、少しでも農家の方々に利益を還元できないかという取り組みでした。
実際に、熊本県八代のいぐさ農家さんのところに行って、寝食を共にしながら、作業を手伝ったりしています。
🏠いぐさ農家さんのところでは・・・。
農家さんの一年は本当に農作物につきっきりなんです。
その中の繁忙期に焦点を絞って、6月から8月の刈り取り作業から、
いぐさに泥をつけて乾燥させる作業、
10月頃の製織作業や品評会、
11月から12月の「井田植え」の際に実際に作業をしながら、
一軒一軒の農家さんのイグサへのこだわりや、特徴を目の当たりにして、学ばせて頂いています。
🏠見方を変えると、感じることがありました。
毎回早朝から夜遅くまでの過酷な作業なのですが、
いぐさ農家さんは家族総出で本当に頑張っていました。
国産のいぐさで作られるタタミでも、上質ないぐさで織られた畳は、耐久性はもちろんですが、
時間が経って日焼けした時の見た目も違うんです。
安価なものは黒ずんだ感じに日焼けするんですが、
上質なものは明るい日焼けの仕方をするので、部屋が明るいんです。
それは、農家さんが1本1本丁寧に選別しているからなんですね。
自分たちがお客様に説明する時も、そんな農家さんの丁寧な仕事を想いながら、説明できるようになりました。
日々熱い想いで活動に取り組む中島さん。
畳の魅力をより多くの人に伝えるために、
力を入れていることがあります。
そのお話は来週に・・・。
次回もお楽しみに!