明治元年11月12日 榎本 開陽丸を江差沖へ
きょうは明治元(1868)年11月12日です。榎本武揚は、旗艦の開陽丸を江差沖に向かわせました。
オランダ製で、26門の大砲を備える開陽丸は、旧幕府勢力、榎本軍の旗艦です。
榎本武揚は箱館港に停泊させていた開陽丸を、蝦夷松前藩、追撃のため、江差沖に向かわせました。
一方、新政府側の松前藩は、本拠の松前城を榎本軍の土方歳三率いる部隊に落とされました。藩主・松前徳広と藩兵は西の舘城や海上交通と交易の要所、江差に向かったという情報があります。
「開陽丸を出撃させるまでのことはない」と周囲の反対もありましたが、榎本は「新政府への示威行動のため」として押し切り、自ら開陽丸に乗り込んだということです。
さらに、外国人居留地に住む自国民の保護のため、箱館港に入ったイギリス・アメリカの軍艦に対し、榎本は朝廷への嘆願書を預かるよう要請しました。
嘆願書で榎本は、「天皇と朝廷に逆らうつもりはない。旧幕府の家臣の上に徳川家の血筋の者を一人据えて、蝦夷地の開拓と国防に従事させてほしい」としています。