明治元年9月21日 会津あす降伏へ 容保家臣へ説明
きょうは明治元年9月21日です。会津藩があすにも正式に新政府軍に降伏することが分かりました。
きょう明け方、鶴ヶ城から新政府軍への発砲が止みました。
会津はこれまで、密かに新政府軍に使者を送り、降伏を申し出ていて、きのうまでに受理されています。
これを受け、前藩主・松平容保は、きょう主な家臣を集め「戦争に及んだことで領民を苦しめてしまった。朝廷に恐れかしこまり城を差し出して降伏し謝罪する」と説明しました。また、「新政府軍は敵ではなく天皇の軍とこころえ、恨んではならない」と申し伝えました。1か月に渡った攻防戦で、会津側の戦死者は少なくとも2400人、自害した女性らは230人に上ります。
容保の説明を聞いた家臣は、ただ嗚咽したということです。怒りと悲しみの余り、城内では3人が自害しました。秋山左衛門は、怒りの表情で一言も発しないまま、銃で胸を撃ち自害。56歳でした。ほかに庄田久右衛門64歳、遠山豊三郎56歳が自刃しました。鶴ヶ城は、あす開城される予定です。