明治元年9月19日 会津藩 降伏の意思伝える
きょうは明治元年9月19日です。鶴ヶ城を死守している会津藩が、新政府軍に降伏の意思を伝えていたことが分かりました。
会津は、鶴ヶ城を包囲する新政府軍に対し、籠城。抵抗を続けていて、籠城はまもなく1か月になろうとしています。
会津は奮戦していますが、新政府軍は1日で2500もの弾を撃ち込むなどその攻撃は日に日に激しさを増しています。
城内には藩兵3000人のほか、女性や子ども、老人も1000人いますが、死者・負傷者は増え続けています。
そんな中、会津の指導者・松平容保は、今月4日に降伏した米沢藩の藩主・上杉斉憲から降伏を勧める書状を受けとりました。
これを受け容保は今月15日、重臣の手代木直右衛門、秋月悌次郎らを使者としてひそかに米沢藩の陣営に派遣しました。手代木と秋月は、米沢藩の案内で新政府軍本営の板垣退助と面会し、会津が降伏する意思を伝えたということです。
新政府軍に参加している薩摩藩の関係者によりますと、新政府軍は会津藩からの降伏の申し出について検討していて、近く認める方針だということです。