慶応4年8月29日 新政府軍 会津攻め開始
きょうは慶応4(1868)年8月29日です。薩摩藩兵を中心とする新政府軍が、先週から会津への攻撃を始めています。
新政府が朝敵とする会津攻めは、戦の最重要目標です。会津の東側に位置する奥羽越列藩同盟の諸藩を攻略した新政府東山道軍は、先週21日、難所の母成峠から会津攻めを開始しました。
新政府軍は、薩摩藩の伊地知正治と土佐藩の板垣退助に率いられた薩摩・土佐・長州などの兵2000。対する会津藩では、旧幕府歩兵奉行大鳥圭介率いる「伝習隊」や土方歳三ら新撰組、仙台藩の応援など800を母成峠の守備に当たらせていました。
新政府軍は21日早朝、濃霧の中、地元の猟師を道案内として母成峠へ攻め込み、次々と会津側の陣地を撃破。力尽きた大鳥らは、午後4時頃に峠から撤退しました。
勢いに乗った新政府軍は、一気に兵を進め、翌22日、会津の本拠・鶴ヶ城までおよそ8キロの川にかかる重要拠点、十六橋に達しました。