慶応4年7月3日 伊地知正治ら新政府に建言
きょうは慶応4(1868)年7月3日です。東山道鎮撫総督参謀の伊地知正治らは東日本の戦地での年貢の減免を新政府に建言しました。
1月の京都での鳥羽・伏見の戦い以降、江戸を含めた関東方面や奥州、北越などでは大きな戦闘が続いています。
新政府東山道軍を指揮する薩摩藩の伊地知正治と土佐藩の板垣退助は、各地の最前線で戦っており、戦場となった土地の惨状を、ほかの新政府軍幹部よりも理解していました。
敵側の藩主や兵は仕方がないにしても、その土地の領民が戦争で土地や財産に損害を受ければやがて税収の減少にもつながります。
また、伊地知は越後や、奥州の二本松藩での戦いで新政府軍の兵士が略奪行為を働き、民衆から反感を持たれていることも理解していました。
民衆に反感をもたれたままでは、新政府の国創りに支障が出かねません。
伊地知と板垣は、戦地となった各地で、年貢を軽減したり免除したりするよう、きょう新政府に建言しました。