鹿児島の出来事

ニューズナウでは今年度、平成とはどんな時代だったのかを考えるシリーズ「平成と鹿児島」をお伝えします。


まずは平成までの流れを確認します。

今から150年前の1868年、「王政復古の大号令」により、明治政府が樹立
西洋の国々に習って憲法制定などの近代化を進め、大正から昭和にかけて対外戦争も行うようになりますが、昭和20年、1945年に大きな転機を迎えます。太平洋戦争での敗戦です。
戦後、民主化を進め、再スタートを切った日本は、「高度経済成長」と呼ばれた飛躍的な経済成長を達成し、世界2位の経済大国にもなりました。

一方、人口を見てみると、明治元年には3000万人余り、大正元年には5000万人余りでしたが、増加を続け、昭和40年代には1億人を突破。
明治以降の時代は経済、人口などの面からは「拡大」の時代だったといえそうです。

そして、昭和64年に昭和天皇が崩御され、1月8日に「平成」が始まりました。
そして、私たちが今生きている平成は、天皇陛下が退位なさるのに伴い、来年の31年4月30日で幕を下ろそうとしています。
この「平成」について考えるシリーズ1回目は、鹿児島であった出来事を振り返ります。


平成がスタートした翌月、自治省で事務次官などを務めた土屋佳照さんが知事に就任。

土屋佳照元知事「経済的・物質的豊かさから心の豊かさへ。そういう時代の流れにどう応えていくか」

土屋さんは新しい県庁舎の建設や、屋久島の日本初の世界自然遺産登録などに、尽力しました。


そして自民党が結党以来初めて下野することになり、いわゆる「55年体制」が終わったこの日、鹿児島では・・・。

8.6豪雨の死者・行方不明者は49人にのぼった。


一方、平成に入るとバブル経済が崩壊。
「失われた20年」と言われる低成長期に入り、県内でも影響が広がりました。

「平成不況」とも呼ばれたこの時期、景気対策による公共事業でビッグプロジェクトが次々に完成。


こうした高速交通網の整備に尽力したのが須賀龍郎さん、初めての県庁職員から生え抜きの知事でした。

大きな議論を呼ぶ中、人工島建設を推進しました。


平成16年から3期務めた元総務省官僚の伊藤祐一郎さんは、450億円以上あった財源不足の解消など、行財政改革に取り組みました。


この30年で様々な災害が相次ぎました。

特に平成23年の東日本大震災は、鹿児島でも地震、津波、そして原子力災害対策を見直す契機となりました。


そうした中、脱原発を掲げた三反園訓さんが初の民間出身の知事に。
「川内原発に頼らない社会作りに向けた歩みを進めて参りたい」

川内原発は運転を続けていて、原発とどう向き合っていくべきか、議論は続いています。


また、喜怒哀楽、様々な出来事がありました。

 


平成の後半は「平成の大合併」が進み、県内の市町村は96から43へと減りました。

県内の人口も少子高齢化の影響もあって減少に転じ165万人まで減りました。
一方で、65歳以上の人口を示す「高齢化率」は30%近くにまで上昇しました。

人口減少と高齢化は今後、さらに進むと見られていて、次の時代も向き合わなければならない、大きな課題になりそうです。