金箔大島に「あげ?」伝統工芸に新風 生産量100分の1に紬職人の一手は? 世界三大織物「大島紬」

「世界三大織物」の一つといわれる伝統工芸品の大島紬。着物離れなどを背景に、その生産数は全盛期の100分の1に落ち込み、職人の高齢化にも歯止めがかかっていません。
逆境からのV字回復を果たそうと、職人たちが打ち出した一手とは?

泥で染めた生地に金箔をのせた「太陽」。藍染めの生地に銀箔をあしらった「月」。いずれも奄美で受け継がれてきた大島紬です。

若者にも受け入れられるモダンなデザインにこだわり、11人の若手職人が立ち上げたブランドは、その名も「age!!」。

(プロジェクトに参加 加工職人・南晋吾さん)「『あげ~』は方言で驚いたときに発する言葉」

一般的な大島紬は「男物」と「女物」に仕立てられますが、「age!!」は性別にとらわれないデザインが特徴です。

(プロジェクトに参加 加工職人・南晋吾さん)「長い間着られる無難なデザインが多い。斬新なデザインも取り入れながら販売につなげたい」

お披露目されたのは東京・日比谷のギャラリーです。高級路線を打ち出す一方、古典的な柄の紬の生地を風呂敷にアレンジする試みも。型にとらわれない発想が生まれたのは、業界への危機感からです。

奄美での大島紬の生産量は和装需要の低迷などを背景に、おととしは3000反を割り込み、全盛期だった1972年の100分の1に減りました。

(締め職人・元允謙さん(42))「これからの後継者不足を考えると、選びたいと思う職業でなければいけない。面白そうと思ってもらえる。しっかり売れてお金に変わることで、より魅力的になる」

会場で機織りを実演するのは、中川裕可里さん(34)。プロジェクトを立ち上げた職人の一人です。

(織り職人・中川裕可里さん)「実際に織るところを見てもらったほうが緻密さを知ってもらえる」

アトリエは奄美ではなく、神奈川県の相模原市です。1日に織り進められる生地は15センチから20センチ。3か月かけて1反を仕上げます。

(織り職人・中川裕可里さん)「祖母の着物を借りて(着付けを)練習していた中に1枚、とても軽いものがあった。なんだこれはと衝撃を受けた。6時間から8時間織って、手のひら一杯分ぐらい」

店頭での販売価格は100万円を超える高級品ですが、中川さんが手にするのは…

(織り職人・中川裕可里さん)「この柄で10万円ぐらい。なので、生活ができない」

着物好きが高じて23歳のとき、奄美大島へ移住し、紬を織っていましたが、収入が安定せずに3年半後、実家がある神奈川に戻りました。

(織り職人・中川裕可里さん)「帰るつもりはなく奄美に行ったが、アルバイトをしても貯金を崩しながらの生活」

紬ファンを増やしたいと、アトリエで体験会も開くことも。奄美大島出身の私も織ってみることに…

(記者)「母も祖母も大島紬を織っていたが、自分で織るのは初めて」

(織り職人・中川裕可里さん)「島の人こそ、生活できないのが分かっているのでやりたがらない」

収入面に加えて、後継者不足も深刻です。奄美の組合に所属する昔ながらの手織り職人は、この10年間で764人から半数近くの390人に減り、平均年齢は72.4歳です。

奄美を離れて8年。中川さんはコールセンターと飲食店のアルバイトをかけ持ちしながら、奄美大島の織元に依頼され、機織りを続けています。

中川さんたちが企画した新作の展示会には、若い世代の姿もありました。

(職人志望の女性(22))「新しい時代にぴったりな着物。今はパートをしているが、いずれは職人をやりたいと思っている」

職人の卵が熱い視線を送るのは、機を織る中川さんです。

(中川さんと職人志望の女性)
「向こう(奄美)の方が織りやすい。奄美独特の湿気が」
「Q.こっちの湿気とは違う?」
「向こうは重たくずっしりとくる」

(織り職人・中川裕可里さん)「一回着てもらったら絶対好きになってもらうという思いがある。もう少し人気を取り戻してもらえるといいなという思いで織っている」

職人たちが胸に秘めた思いは「アゲアゲ」。伝統産業の未来は暗くありません。