戦争遺児の体験聞くイベント 大学院生(24)が企画「若い世代が知らなければ…」
終戦から78年が経って戦争当時を知る人が減り、その記憶を若い世代にどう伝えていくかが課題となっています。そうした中、戦争で親を失った遺児の体験を聞こうというイベントが鹿児島大学で開かれました。
企画した24歳の若者の思いとは?
(遺児の会のメンバー)「母たちが真剣になって裏山から竹を切ってきて竹槍を作り、すごい声で訓練している。あんなことでやっつけられるのかと子ども心に思った」
戦時中の記憶を語るのは、戦争で親を失った「戦争遺児」たち。大学生が真剣な表情で耳を傾けます。
イベントを企画をしたのは、鹿児島大学大学院で天文学を学ぶ渡邉良介さん、24歳。きっかけは、この日講演した遺児の1人で、鹿児島市遺族会の事務局長を務める吉見文一さん(82)との出会いでした。
(吉見文一さん)「6か月です。(父親と)一緒に暮らしたのが。戦争は行った本人も大変だが、残された家族も本当に大変なんです」
吉見さんの父・元明さんは、1943年、東部ニューギニアで敵の銃弾を受け、32歳で戦死しました。当時2歳だった吉見さんに父親の記憶はありません。
当たり前の日常が突然失われる戦争の悲惨さを伝えようと、去年10月、遺族会の有志らおよそ10人で「戦争を語り継ぐ遺児の会」を立ち上げました。
そのことを新聞記事で知った渡邉さんは、吉見さんのもとに通うようになり、何か協力できないか考えるようになったと言います。
イベントの2日前、最後の打ち合わせをする2人の姿がありました。渡邉さんはこれまで戦争に関連して行動したことはなかったといいますが、遺児の会の記事に背中を押されたと言います。
(渡邉良介さん)「戦争を知る世代が自分たちしかいない、最後の世代という部分に強い印象を受けた。自分たちが知らないと終わってしまうと思って動こうと思った」
渡邉さんが吉見さんのもとを訪れるようになったのには、もう一つ理由がありました。吉見さんは元高校教師。渡邉さんも同じ教師の道を目指しているのです。
(渡邉良介さん)「考えが良くても(自分には)指導力はないので」
(吉見文一さん)「生徒を愛する気持ちがあれば。愛情だよ、やっぱり」
(渡邉良介さん)「それ言われて、それを大事にしようと思いました」
そして迎えたイベント当日。渡邉さんは、同じ天文学を学ぶ仲間2人とともに遺児の会の5人と対談しました。
(遺児の会のメンバー)「どかんどかんと花火の音みたいだが、後で聞いたら爆弾の音だった。家から1キロぐらいしか離れていないので、防空壕の中で泣いた記憶がある」
(大学院2年 坂本直也さん(24))「映像とか写真では伝わらないリアルで、僕たちが想像するためのリアリティがあった」
(理学部4年 松尾たま希さん(21))「戦争を知らない世代が、語り部となって次の世代に伝えていくことをみなさんは願っているのか聞きたい」
(遺児の会のメンバー)「子どもにも孫にも戦争のことは話したことはない。こういう機会に初めて話をしたが、孫にも子どもにも話しておくべきだった」
会場からは渡邉さんたちにも質問が出ました。
(参加者)「なぜ戦争に興味を持つようになったのですか?」
(渡邉良介さん)「天文学をするうえでも、(日本で)戦争がないからこそ勉強できる。普遍的な問題だと思って取り上げました」
イベントに参加したおよそ50人の中には若い世代の姿もありました。
(大学1年生)「僕が戦争についての意識が薄いと、今日感じることができた。若い世代として戦争への意識もしっかり持ちたいと思った」
イベントを通して、渡邉さんと吉見さんはそれぞれ手ごたえを感じていました。
(吉見文一さん)「非常に良かった。特に私たちが願っているのは、若い人たちにぜひこういう機会を設けてほしい」
(渡邉良介さん)「戦争はナイーブな話なので、あまり行動が伴ったことがなかったが、小中学校の頃から大事なことだとずっと思っていたので、それがやっと自分の足が動いて行動できた。こういうイベントをすることを続けていくことが大事だと思っている」
戦争を知る世代から戦争を知らない世代へ、一人一人の小さな一歩が、記憶をつないでいます。