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終戦78年 戦艦大和などの慰霊塔も老朽化で周辺は立入禁止に…修復に向けて 鹿児島県伊仙町(2023年8月15日放送)

きょう8月15日は78回目の終戦の日です。太平洋戦争末期、鹿児島沖では戦艦大和などが沈没し、多くの海軍将兵が亡くなりました。戦後、その慰霊塔が徳之島の伊仙町に建てられましたが、老朽化が進み、周辺は立入禁止となっています。
慰霊塔を戦争の記憶とともに後世に残していこうと、この夏、新たな取組みが始まりました。


徳之島の南西部に位置する犬田布岬。東シナ海をのぞむ雄大な景色の中に半世紀以上たたずむ塔があります。

戦艦大和を旗艦とする「艦隊戦士慰霊塔」。1941年、太平洋戦争開戦直後に就役した史上最大の戦艦大和。1945年4月、連合軍が上陸した沖縄へ向け、大和を旗艦とする特攻艦隊が出撃。米空母艦載機の攻撃をうけ、大和以下6隻が沈没、将兵およそ3700人が戦死しました。

終戦から20年あまり、永遠の平和を願い慰霊塔が完成したのは1968年。毎年、大和が戦没した4月7日に慰霊祭が行われます。

慰霊塔を設計した鹿児島市在住の彫刻家・中村晋也さんです。鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」などの作者としても知られる中村さん。97才になった今でも当時のことを思い出すと話します。

(中村晋也さん)「戦艦大和は日本で一番大きいだけではなく世界一の大きさ(亡くなった将兵のことを思い)残念だ、残念だと言いながら慰霊塔を作った」

建立から50年以上、中村さんには気になっていたことがありました。

(中村晋也さん)「(1968年)当時はお金も材料も無く、セメントだけが材料。今だったら石貼りにするとか石で作るが、当時はセメントで作るのが精いっぱいの時代。よく形を保っていると思います」

長年、潮風にさらされてきた慰霊塔内部の鉄筋がさび、ひび割れやコンクリートが剥がれ落ちるなど、塔の劣化が問題となってきました。

薄れゆく戦争の記憶、この歴史的建造物を守り、78年前の悲劇を後世に語り継ごうと、地元の伊仙町がこの夏動きました。

慰霊塔修繕の費用を広く募るため、インターネットを利用して寄付を呼びかけるクラウドファンディングの募集を始めたのです。

(伊仙町 大久保明町長)「戦艦大和は(太平洋戦争の)象徴。大和慰霊塔を改修し恒久平和を祈るた、め全国、海外の方にクラウドファンディングという形で要請。多くの方々の賛同を得て慰霊塔を守っていきたい」

平和のシンボル、慰霊塔を守りたい。太平洋戦争を経験した中村さんも特別な思いを感じています。

(中村晋也さん)「小中学校、学生時代ずっと戦争の只中で卒業後に出征。今の時代、慰霊といってもぴんとこないかもしれない。建立当時は慰霊という言葉が響いた時代。慰霊塔は敗戦から再生へのシンボル」

(記者)「徳之島、犬田布岬に慰霊を目的に訪れる人が多いです」
(中村晋也さん)「ありがたいことです」

この美しい海で二度と戦争が起きないことを願って、慰霊塔は南の海を見守り続けています。

終戦から78年。戦争を直接知る世代が年々、少なくなるだけでなく、戦後に建てらた慰霊塔すらも老朽化が進む時代となりました。78年という時間が経過した中で、あの戦争の記憶をどのように受け継いでいくかは、改めて考えなければならない課題です。

なお、伊仙町では慰霊塔の修繕費用を集めるためのクラウドファンディングを、1億8000万円を目標に10月29日まで行うことにしています。(※ふるさと納税で伊仙町へ寄付)