【8・6豪雨 30年目の証言⑥】土石流と海に転落で九死に一生 妹亡くした兄の思い
1993年夏の8・6豪雨災害から30年。大雨により鹿児島市を中心に48人が死亡、1人が行方不明となりました。亡くなった人の9割は土砂災害によるものでした。
今回は、竜ケ水の土石流で海に投げ出された人や、土砂崩れで家族を亡くした人の30年目の証言です。
1993年8月6日、竜ケ水地区の映像です。道路わきの崖から、大きな石の混じったどろ水が滝のように流れ落ちています。
JR日豊本線の竜ケ水駅では、300人以上を乗せた列車ががけ崩れで行く手を阻まれ、ストップしていました。
(西牟田剛さん)「ここから列車を降りてきたんじゃないかな」
姶良市に暮らす西牟田剛さん(73)です。あの日、友人の家の新築祝いのため、JRで鹿児島市へ向かっていました。
運転を見合わせていた列車を降り、国道10号沿いのガソリンスタンドに避難。その後、がけ崩れを警戒し、山から少しでも離れた海側へ移動しました。しかし、午後7時すぎ、海まで到達する大きな土石流が人々の列を襲いました。
(西牟田剛さん)「民家がまだ上の方にあった。飛ばされるように土石流が落ちてきたとき、家がパーンと散ったのを覚えている」
十数人が海まで流され、3人が死亡。西牟田さんも海に投げ出されました。
(西牟田剛さん)「浮き上がったときに軽自動車があったので、それをつたって海面に出たのを覚えている」
自力で岸に上がった後、投げ出されたほかの人たちの救助にあたりました。
(西牟田剛さん)「足を負傷した人がいるからこっちに来てと言われたので、泳いで沖まで行って連れてきた。その人は皮一枚で足がつながっていた。足がぶらぶらしていた。別の人がベルトで縛って止血をした」
30年たった今も、あの日聞いた山鳴りの音が耳に残っています。
(西牟田剛さん)「絶えずゴーゴー鳴っている。雨は止んでいるのに。死ぬかもというのは一瞬よぎった」
8・6豪雨では竜ケ水以外にも、各地で土砂崩れが発生しました。鹿児島市皆与志町では、住宅の裏山が崩れ、親子が巻き込まれました。
(松尾春美さん)「裏山からバリバリバリと音がして、すごい音だったと(父が)言っていた」
30年前、自宅が被災した松尾春美さん(68)です。父親の勝美さんは無事救助されましたが、2歳下の妹・かつ子さんを亡くしました。
あの日は出張で奄美大島にいたため、土砂崩れのあったとき、自宅にはいませんでした。
(松尾春美さん)「妹はほとんど家にこもったきり。小児まひで歩いたりはできたが、いつも家にいて母親が面倒を見ていた。夕方、土砂が崩れて(妹を)父親が一回つかんだが、また二度目の土砂が来て流されたと言っていた」
かつ子さんは翌朝、敷地内の土砂の中から見つかりました。
(松尾春美さん)「災害後は家もないし、集落の公民館で通夜をした。時が経つと忘れてしまうこともあるが、映像を見ると思い出す。また8月6日が来るが、墓参りやお寺に行きたい」
(MBCニューズナウ 2023年7月31日放送)