MBCラジオ

「#107 実家じまい」風の歳時記

少し早い夏休みをとって、田舎のムラの実家に帰った。半年ぶりのふるさとだ。父は早く、20年ほど前に亡くなり、母も4年前にこの世を去った。以来、実家は住む人もなく、空き家のまま、長い沈黙の中にたたずんできた。空き家といえば確かにそうだが、ボク自身の後悔、痛み、申し訳なさを込めて言うなら、むしろ、捨てられ、放置された「捨て家」と言った方がいいのかもしれない。

少しだけだが天井には雨漏りの跡があり、足を踏み入れるとかび臭い臭いが漂っていた。ダイニングの食器棚には母が買い求めた茶碗や皿などが丁寧に重ねられ、箪笥の抽斗を開けると、たとう紙に包まれた着物や帯がきちんと仕舞いこまれている。父の部屋の書棚には、本とともに数十年間の手帳が並べられ、几帳面な筆跡で日々の記録が書き付けられて、しばし、読み耽ってしまう。きちんと削られた鉛筆が立てられた筆立て、文箱には名刺類が入っていて、ボクの若い頃の名刺だけが輪ゴムで束ねられて別置きされていた。

実は、この家で暮らしたことはない。ボクが高校を卒業して間もなく建てられた父母のマイホーム。寝泊まりするのはたまに帰省した時だけだった。何十回も帰ってきた家ではあるけれど、父と母が1年春夏秋冬をどのように暮らし、日々の想いを紡いできたのか、今となっては知る由もない。恋をし、結婚し、子どもを育て、さまざまな人たちに支えられ、時に支えつつ、一回限りの人生の道のりを歩んできた父と母が最後に残したのが、この家だ。物音ひとつしない、何も語ることもないこの一軒の家が、物として両親が最後に残した形見の品といえばいいいのだろうか。言葉もなく、押し入れを開け、戸棚の中の小物やアクセサリー、ネクタイピンなどを手に取ってみる。

ちょっと大きめの紙の箱を開くと、ボクが小学生の時に描いた絵や作文コンクールの賞状、下手な筆の字が書きつけられた半紙などがぎっしりと詰まっていた。その下の箱には、孫、つまりボクの娘たちの夏休みの絵日記や祖父母にあてたメッセージカードなどが収められて、しばし、目を通す。泣いても叫んでも、再び戻ってくることのないあの頃が、にわかに実感となって蘇ってくる。

今回の里帰りは、この家と家財道具一切を処分する、いわゆる「実家じまい」のためだった。父が逝き、母が去り、誰もこの家に戻ることがない以上、二人の男と女が人生の道連れとして、最後に残した住まいを、息子の責任で始末するしかない。何というしんどくて、寂しくて、疎ましい作業だろう。「親孝行したい時には親はなし」という諺がある。確かにその通りだ。人肌の温もりを忘れ、荒れていくばかりの家を、いま、こうして心ならずも処分する。親不孝のツケを黙々と支払うのも、身から出た錆びなのだろう。

セミが鳴き続けている。庭木も伸び切って、炎天下でざわざわと風に揺れている。

同行してくれた友人が、「よく手入れされてるねぇ」と父が使っていたノコギリ数本を持ち帰ることにしてくれた。新しい居場所を得てくれたことが、素直にうれしい。

父と母の生きた時代が、7月の終わりとともに去って行く。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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