
放送日:2026年4月3日
思い切り咲き誇っていたソメイヨシノだが、その枝先を風が抜けるたびに、ハラハラと散り始めている。この春もいつものオヤジたちと花の下の宴を楽しんだ。裏山の桜木の下に座り込み、しばらくは、みんな、「いいねぇ」「春だなぁ」と上を見上げているのだが、缶ビールの栓を開ける「プシュ」っという音が聞こえると、もう、いけない。「ぷふぁ~」と心地よさげな息を吐き出し、静かに桜の花など見つめている者はいない。
みんな、いいトシをしている上に、若い頃の気力、体力も残っていないから、もちろん、飲めや歌えやの乱痴気騒ぎなど、する気もないし、できもしない。だったら、一気に咲いて、一気に散っていく、束の間の桜のひとときをしみじみ味わえばいいと思うのだが、ないものねだりなのだろう。ビールがハイボールや焼酎に移る頃には、ボクだって、もう心、桜にあらず。「おまえ、最近、血糖値どうなの?」とか「やっぱり、玄米食に勝る健康食はないね」とか。風情も何もあったものじゃない。
ほんの少しだが、ここ10年近く、連句を楽しんでいる。連句とは「連なる句」。ある人が冒頭の一句5・7・5を詠み、次の人が二句目の7・7の句を付ける。続いて3人目が、また5・7・5というように複数の人が句を付け合って一つの歌の巻物を完成させる遊びだ。
江戸時代に栄えた集団文芸の形で、松尾芭蕉によって磨きをかけられた。だから、芭蕉は俳句を詠む俳人というより、連句を詠む俳諧師というのが正確なんだろうね。この連句の最初の一句、発句(ほっく)と呼ぶのだけれど、これを俳句として独立させたのは正岡子規、明治になってからのことだ。
その俳句の愛好者は、全国に500万人程度はいるという。夏井いつき先生のテレビ番組「プレバト」やネット句会などの影響もあって少しずつ増えているともいわれている。それに比べると、連句を楽しむ人は全国で数千人いるかどうか。ほとんど絶滅危惧種といっていい。
で、その連句と俳句の世界では、ただ単に「花」といえば桜を指す。春、それも晩春の季語だ。連句の世界では、「ここは花の句を詠んでください」という定位置、句の順番があって、そこでは必ず花の句を詠まなければならない。花筏(いかだ)でも花冷えでも花吹雪でも花明かりでも何でもいい、とにかく花を詠み込むのだが、できれば、遠来の客人とか一座の内の特別な人に詠んでいただく。ここから「花を持たせる」という言葉が生まれた。ほかに連句から生まれたよく使われる言葉に「挙句の果て」というのもある。挙句とは連句一巻の最後を締めくくる7・7の句だ。すべて詠み終えたそのまた後の「どんづまり」「最後の最後」とでもいえばいいのか。
「木のもとに汁も鱠(なます)も桜かな」
桜の木の下で花見をしていると、目の前は花びらで一杯になってしまった。何と豊かな穏やかな桜の一日だろうという芭蕉の句。「汁も膾も」は「どこもかしこも」「何もかも」を意味する慣用句だけど、花の宴によく似合う。
来年は、この裏山の花の下で連句の会も悪くないな、と考えているうちに、ふと気が付くと、春の日が西の空に傾き始めている
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










