
放送日:2024年8月16日
変な話なのだが、いきなり、半世紀も前の子どもの頃のあの歌が脳裏を巡り始めることがある。
♫オラは死んじまっただぁ…天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいしねえちゃんはきれいだ♫
「帰ってきた酔っ払い」。ザ・フォーク・クルセダーズといっても、若い人たちは知らないかなぁ。一度YouTubeでぜひ。
4年ほど前になる。友人に誘われて比叡山・延暦寺に登った。山頂は叩きつけるような雨と風だったのに、少し下った境内は静まりかえっていた。聞こえてくるのは、屋根から滴り、敷石を打つ雨音だけ。伽藍を取り囲むスギやモミ、ブナなどの巨木に圧倒されながら、玉砂利を歩く。オーバーツーリズムの喧騒とは無縁の空間がうれしい。
お寺さんには失礼だけど、不思議なことに、「オラは死んじまっただぁ~」のあの歌が頭の中で響き始めたのは、その時だった。
私自身、熱心な仏教徒では、もちろん、ない。というか、はなはだ俗っぽい世界でしか生息してこなかったためか、死後に極楽往生できるなどとは露ほども思わない。これだけは妙な自信だが、いまを生きている人たちに、死んだ後、お浄土、天国へ往生したいと本気で考えている人が果たしてどれだけいるのだろう。
死をどう受け止め、死後の世界にどのようなイメージを巡らせるかは、時代によって大きく変わってきた。
例えば江戸時代の農村や漁村。毎年のように襲う地震に豪雨に干ばつ、そして、疫病…。飢えと渇きに苦しみ、医療も薬もない中で乳幼児の多くは次々に命を落とす。平均寿命も三十歳代、寒さ暑さへの無防備が続く時代は、いまでは想像できないほど、生きることは、つらく、悲しく、切ないことだっただろう。その頃の「死」は、生き続けること自体の苦しみからの解放を約束するものであって、お浄土への旅立ちはそれほど怖いものではなかったような気がする。
ひるがえって今の時代。全ての人がそうだとはいえないけれど、かなりの人たちがそこそこの便利さ、豊かさ、長寿、贅沢や飽食、自由や享楽を手にしている。そんな可もなく不可もない充足の毎日とサヨナラするのは、やはり、つらい。その未練こそが、むしろ、私たちの死への拒否感、恐怖、不安を煽っているんだろうね。
「酒はうまいし、ねえちゃんはきれい」な天国もどきの日々を送っていれば、わざわざ、天に召される必要もないよな…と思う人がいても仕方がない。でも、それで、私たちは少しは救われているといえるのだろうか。
必ず、誰にも、きっと、例外なくやってくるその時、最後の日をどう迎えるか。覚悟を固めながら、かけがえのない自分の一生を振り返り、考え込み、祈る力は、私たちが手にした豊かさに反比例するように、じわじわと弱くなっているのかもしれない。
今日はお盆の明け…そういえば庭先の送り火も最近はすっかり見なくなった。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










