
放送日:2025年4月4日
春爛漫、花たちが競うように咲き始め、春の光が輝きを増し始める季節。今日、4月4日は二十四節季の一つ、「清明」にあたる。清く明るいと書いて清明。春のうららかな日差しを浴びて、木々は勢いをつけて伸び始め、生き物たちも元気よく動きだす。
思い切り深呼吸をして、さぁ、心機一転、一歩を踏み出そうという季節だが、人間世界は複雑で、暦通りの気分になれる時ばかりではない。仕事や人付き合いや家族のあれこれ、買い物に行けば値上げラッシュにため息のひとつもつきたくなる。そんな、世間のあれこれの壁にぶつかり、気分が滅入った時に、ふと、「ま、いいか、生きてるだけで丸もうけ、だもんな」と言い聞かせている自分に気づく。
この「生きてるだけで丸もうけ」というフレーズ、もう30年以上も前の話だが、明石家さんまさんが、大竹しのぶさんとの間に生まれた娘に「いまる」と名付けて以来、ちょっとした流行語になった。面白い名付け方ではあるけれど、どこか、現状に安住する居直りの気分も感じさせて、「なるほど、確かにそうだけど、それだけじゃ、寂しいなぁ」と受け止めた人も多かったような気がする。実は、私もそうだった。
その感覚がひっくり返されたのは、作家・五木寛之さんの一文をを読んでからのことだ。五木さんは、米国のアイオワ大学の教授が行ったこんな実験の話を紹介している。
…教授は、30㎝四方の木箱を作り、そこに砂だけを入れて、1本のライ麦の苗を植えてみた。その苗を水だけで育てて、3か月後に箱から取り出し、砂の中に広がっている根の長さを測ってみたところ、顕微鏡でしか見えないような細い根まで含めて、その根の長さは1万1200㎞もあったという。
その話を聞いて、五木さんは「1本のライ麦が生きるためだけに、シベリヤ鉄道の長さをはるかに超えるくらいの長さの根を張り巡らせ、その命を支えていた…それを考えると、私たち人間が1日生きるということは、どのくらいの根を人間関係に、世の中に、宇宙に張り巡らせていることか。1日生きるだけでも、ものすごいことをしている。人は生きているだけで偉大なことだと思います」と続けている。
そうだよな、生まれて、生きて、老いて、死んでいく、それをすべてやり通すこと。「いかに生きるべきか」「何のために生きるのか」という問いは、今日1日の命の営みの重さに比べれば、たいした問題ではないのかもしれない。どんなに惨めでも、寂しくても、情けなくても、哀しくても、みすぼらしくても、いま、生きて、私が存在しているということだけで、ものすごいことなのだ、と気づく。まずは、そこから始めなさい…ということなのだろうね。
春…旅立ち、そして、出会いと別れの季節。若者たちだけに限らない、人生の節目を迎え、次のステップに踏み出したくても、踏み出せない。迷い、戸惑い、悩みながら、たたずんでいるしかない人たちも、きっと多いことだろう。
目には見えないけれど、人が一人生きてるって、どれほど多くの根っこに支えられてのことか。「生きてるだけで丸もうけ」。この言葉を、本当にじっくりと噛み締めたら、明日からの目の前の風景が、少しだけでも変わってくるのかもしれないな、と思う。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭









