
放送日:2025年2月7日
何年か前の早春、東京でのちょっとした講演会に行ってきた。その世界ではよく知られている中国の古典の翻訳者が「論語に学ぶリーダー論」を話したのだが、リーダー論はともかく、聞きながら「そんな読み方があるんだ」と感心しながら、しばし、ウンウンと頷いたことだった。
「論語」…。約2500年前、春秋時代の中国の思想家・孔子の言葉を、のちに弟子たちがまとめたものだ。中でもよく知られているのが次の一節…。
吾十有五にして学に志す
三十にして立つ 四十にして惑はず
五十にして天命を知る 六十にして耳順(したが)う
七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず
孔子が自らを振り返って、その人生の歩みを語ったものとされていて、今はわからないけれど、以前は小学校高学年の教科書にも掲載されていた。
わかりやすく解釈すると
「私は十五歳のとき学問に志を立てた。三十歳になって、自立できるようになった。 四十歳になると、心に迷いがなくなった。五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。六十歳になると、人の言うことがなんでも素直に理解できるようになり、七十歳になると、自分のしたいことをそのままやっても、人の道を踏み外すことがなくなった」。そういう意味になる。
儒学、儒教を立ち上げた人なのだから、さすが立派な人だったんだなぁ。そんな人に少しでも近づけるといいなぁ。と、まぁ、そういう教えだった。ところが、セミナーの先生は「別の読み方もありますよ」と言いながら、「逆読みをしてごらんなさい」と勧めた。え、なんのこと?と思ったのだが、こういうことだった。
「私は14歳までは勉強なんかする気はなかった。29歳までは自立できない男で、39歳まで迷ってばかりだった。49歳までは自分の使命なんて考えたこともなく、59歳までは人の言うことを素直に聞くこともなかった。そして、69歳になるまで、自分の好きなことばかりしては、人の道を踏み外していた」
1歳ほど年齢の引き算をして読み替えると、「なぁんだ、孔子さんもボクと同じじゃないか」。と、少し、ホッとする。信じて疑わなかった解釈が、読み方、向かい合い方によってずいぶん違って見える。世の中、タテマエや正論のオン・パレード。誰も見えない未来を自分だけの物差しで勝手に決め込んで、ハンドルの遊びを失ってしまってないか。行き過ぎた正義感のぎすぎすした「きしみ」がSNSなどに乗って世の中を覆い、結果、世間はしなやかさも柔らかさも失っていく。
三寒四温のこの時期が駆け去ると、梅に続いて桃、木蓮、桜にレンギョウと春の花たちが一気に咲き始める。爛漫の季節の香りに包まれながら、間もなく、多くの若者たちが世間に旅立つことだろう。そんな若い人たち、落ち込んだり、情けなくなったりしたときに、ぜひ、立ち止まって、「逆読み」をやってみて欲しい。
タテマエから解放され、肩の力が少しだけ抜けて、生きやすくなるはずだから。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










