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「#15 山頭火」風の歳時記

「#15 山頭火」風の歳時記

「いつからともなく、どこからともなく、秋がきた。柿の葉が秋の葉らしく色づいて落ちる。実も落ちる。その音があたりのしづかさをさらにしづかにする。季節のうつりかわりに敏感なのは、植物では草、動物では虫、人間では独り者、旅人、貧乏人である」

そう書いたのは放浪の俳人・種田山頭火。

山頭火は、明治15年(1882年)に山口県の防府市生まれ。15歳で俳句を始め、早稲田大学に進学した。その後、俳句界で頭角を現したが、実家の倒産や関東大震災で被災するなど、苦労も多く、大正時代の末期に放浪の旅に出る。いまから100年前のことだ。旅と俳句と酒に生きた山頭火が、その後、全国のあちこちを放浪しながら詠んだ作品の多くは五七五にこだわらない自由なリズムの俳句で、今も人々を魅了し続けている。

その山頭火が鹿児島にやって来たのは昭和5年、彼が47歳の時だった。熊本の八代から都城、宮崎市を経て、10月10日、宮崎の串間から歩いて二時間かけて志布志に入る。

その様子が日記にしたためられている。

「自動車が走る、箱馬車が通る、私が歩く。途上、この地方の事情を教えてくれた娘さんはいい女性だつた…草鞋がないのには困つたが、それでもお接待としていただいたり、明月に供へるのを貰つたりして、どうやらこうやらあまり草履をべたべた踏まないですんだ」

自らを「乞食坊主」と呼んでいた山頭火に対する志布志の人たちの優しさが心に沁みたのだろう。その夜は「街へ出て飲む、そして芋焼酎の功徳でぐっすり寝ることが出来た」

と記している。

志布志は秋の盛り、抜けるような青空が広がっていたようだ。僧侶の身なりで托鉢をしていた様子を警察官に注意されたこともあったのか、山頭火は2日間滞在しただけで、それ以上鹿児島を歩くことをせず、志布志を去って帰路についている。帰り道は今の曽於市の岩川、末吉に立ち寄り、宮崎経由で大分へ…。おそらく、この行程では桜島を目の当たりにすることはなかっただろう。山頭火がもし、桜島の秋の夕暮れを詠んでいたら、どんな味わいの句になっていたのか。

「季節のうつりかわりに敏感なのは、植物では草、動物では虫、人間では独り者、旅人、貧乏人である」と記した山頭火。

志布志には彼の句碑が14基あると聞く。

「志布志へ一里の秋の風ふく」  

「線路へこぼるる 萩の花かな」

「飲まずには通れない 水がしたたる」

独り者で、旅人で、貧乏人だった「山頭火」が感じ取っていた秋を探しに、志布志を歩きたくなってきた。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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