地域おこし協力隊の池田恵さんです。池田さんは、神奈川のご出身だそうですね。
横浜駅に近い住宅街で育ちました。
でも、鹿児島ともご縁がおありなんですよね。
はい。祖父母が鹿児島に住んでおりましたので、子供の頃は夏休みに祖父母の家を訪ねて過ごしていました。
網戸にくっついたカエルを指で弾いて落としたりとか川で泳いだり、鹿児島での夏休みがいつもとても楽しくて、自分の子供たちにも自然の中で暮らすのを経験して欲しいなとずっと思っていたんです。
地域おこし協力隊として着任なさったのはいつなんですか。
2020年の9月です。
屋久島町の地域おこし協力隊の募集広告を見つけたんですけれども、締め切りの数日前だったんですね。どうしても応募したいなと思ったので、家族に相談しないで、急いで書類を集めて履歴書を送って、ギリギリ間に合ったというような感じです。
これまでもいろんなところで活動なさってこられたんですか。
元々、田舎暮らしに興味を持っていたので、移住フェアなどにも足を運んで、自分なりに情報を集めました。その際に地域おこし協力隊という活動があるというのを教えていただいて。ですけど、農業などの力仕事がメインなことが多くて、なかなか自分には縁がないなと思っていたんです。
屋久島町での募集内容が移住支援に関わる隊員の募集ということだったので、これまで自分が経験してきたWeb デザインとか、ニュージーランドにワーキングホリデー制度で長期滞在した経験がありましたので、そういうことを活かせるんじゃないかと思って応募しました。
子供たちも、屋久島気に入っているようですね。
そうなんです。採用していただいて初めて屋久島空港に子供と一緒に降りたった時に、上の娘が「ママここ私だいすき」って言ってくれたんですね。
他の下の子供たち3人とも、すぐに屋久島を好きになって今ではすっかり馴染んでいます。
横浜で暮らしていたときは、保育園の待機児童の問題があったんですけども、屋久島では問題なく過ごせていますし、一番下の子供が肌荒れがすごかったんですけれども、移住して1か月もしないうちに、すっかり綺麗になって解消されていました。
屋久島の空気、豊かな自然が、子供さんたちにとっても、いい方向に行ってくれたわけですね。
そう感じています。
都会っ子の皆さんですけれども、生活していく上で不便さを感じることはありませんでしたか?
屋久島はコンビニもないんですけれども、そういう暮らしにもすぐに慣れてしまって、意外と今のところ不便を感じていません。子供たちがいるおかげで、地域の活動なんかにも、すんなりと馴染むことができています。そういったきっかけがない場合は、事前に屋久島に何度か来ていただいて、例えば、宿泊施設や飲食店なんかで、島の中に知り合いの方を作ってから移住をしてみると馴染みやすいのかなと感じています。
先輩からの提言ですね。地域おこし協力隊今はどんな活動していらっしゃいますか。
新型コロナウイルスが流行している中での着任だったので、オンラインでの移住相談やホームページのリニューアル、SNSアカウントの立ち上げのリモート作業を中心に今は進めています。
屋久島が住みやすい島にするためへの抱負をお聞かせいただけますか?
今までは観光地としてしか知らなかった屋久島ですが、暮らすことがだんだんわかってきました。
屋久島町でも昨年度から空き家バンク制度が始まっているんですけれども、まだ認知度が低くて十分に活用できてないかなと感じています。その辺の情報を充実させて、もっとたくさんの方に屋久島で暮らしてみたいと思っていただけるようにしていきたいと思っています。
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